祖父・松谷明卿(1981年6月26日)

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        臥龍文庫前 7月2日

 

足元が分かっていない。

 

母はこの6月30日、満96才の誕生日を迎え、元気。

翌、7月1日朝日新聞(石川版)俳句欄に

電線に 並びかしまし 雀の子

が載って、意気揚々。

わからないことは聞いておかなくてはならない。

 

私が生まれたとき、当家には父母、祖母がいて、2年後に弟が生まれた。

祖母が1972年(昭和47年)9月15日に世を去るまでの23年間は5人家族だった。

父・外卿は七尾徳田・江曽妙楽寺・松谷家の三男に生まれた。

西山家には、1941年(昭和16年)7月4日、22歳の時に前坊守朝野の養子として西勝寺に入った。

朝野は、羽咋郡金丸随用寺に生まれ、旧姓朝倉。

昭和16年(1931年)1月9日に西山家を相続している。

父は、祖母を「おかあさん」と呼んでいた。

そして、私の記憶では、週の木曜日は父母と弟と親子水入らずで「ハナレ」で寝たが、他の日は祖母と二人で「ハッチョウマ」で寝た。

 

祖母のむかしがたり、子守歌を聞きながら、時には蛍が入ってくる部屋で、いつか眠りに入っていった日々の記憶なのだが、それは弟がほんの小さな頃だけだったのかも知れない。

しかし、その頃には、祖母が本当の祖母ではなく、だから-家族の中で孤立しないようー同じ部屋で寝なくてはならなのだろうと、口にはしなかったがそう思っていた。

 

そこで、船でしか行けないような遠い七尾のさらに奥の農村地帯に育った父を養子に迎えた祖母と、父はどんな関係だったのか?

生き字引の母も、正確なことは分からないという。

 

調べ出すと、朝野の兄・静雄が昭和16年10月20日から父が住職になるまでの間、当寺西勝寺の代務者になっている。

静雄氏は教如上人の由緒寺赤野井別院の輪番をしていたことがあり、昭和33年4月に、祖母・私たち兄弟と、静雄氏のお孫さん姉妹2人とで赤野井別院に数泊したことがある。

私が最年長11歳・小学5年生だった。

それとは別に祖母に連れられて京都付近へ何度か行ったことがあり、決まって本山前の油屋という旅館に泊まった。

檜の風呂があるいい旅館で、「金丸のおじいちゃん」も一緒のことが多く、親切にしていただいた。

今、思うに朝倉氏は、当時宗務役員か衆議会議員をしていたのだろう。

 

私たちが「おばあちゃん」と呼んでいた人が、本当の祖母ではないのなら、父方の祖父母がいるはずで、その祖母・冨尾は、父が11歳の時に世を去っている。

 

 

そして祖父・明卿は、1981年(昭和56年)6月26日、近くの山で遭難して亡くなった。

山探ししたが見つからず、夏になって発見されたはずだから、命日の6月26日は不明になった日なのだろう。

昭和56年というと、私は飯田高校で担任、野球部顧問、角川の地名辞典作りなどをしており、葬儀その他には全て参加しているはずだが、何一つと言っていいほど記憶に無い。

 

人身受けがたし…とあちこちで語っているのに、我が身のことについては知らないことが多すぎる。

祖父の命日を確認したのはついこの間のことで、これまで、お墓参りにも行っていない。

祖母・冨尾については命日さえ、まだ分からない。

 

とりあえずお参りからだ…

26日は行けなかったので、7月2日に手を合わせてきた。 

 

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能登国33観音第8番江曽観音堂 並んだ奥に妙楽寺住職家墓がある。

能登国33観音を調べだしたのも、父の実家に札所があること、早くに御詠歌を調べて見せてくれた、伯父・円明の影響があったのだろう。

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今、このお寺の住職は、円明伯父の孫が継承している。

※先日、金石の人からこの本が手に入らないかと電話があったが、今は古書でしか手に入らない。