宝達山周辺
宝達山からの夕日-2007年8月25日 B地点
金沢のホテルから、宝達山が見えた。ホテルは一向一揆の時の富樫政親が拠った高尾城のすぐ側にある。
高尾城と宝達山は呼応しあう位置にあったのだと、朝焼けからしばらく眺めた。
カメラは車の中なので、ノートにスケッチしてみたが、絵も下手。
やっぱりカメラでないとピンとこない。時間はたっぷりあるので一枚写した。
A地点近く 撮影2021年6月26日
宮島峡 小矢部市 C地帯
能登一の高山・宝達山は熊野信仰の地で地図のC地帯は熊野三山(滝を含む)であり、近くに俊寛僧都の墳もある。
以上2枚 撮影2006年10月21日
気多社 羽咋市 E地点
また、Dの気多社いらずの森には古墳がある。その羨道口は宝達山に向いており、平国祭(おいで祭り)は随身門を通って1週間の平国行程を終えるのだが、
この随身門は、写真のように宝達山の遙拝所になっている。
正面が宝達山 撮影2008年2月2日
気多社随身門 2008年2月2日
大穴持像石神社 D地点
気多社のすぐ東(300m)に鎮座する大穴持像石神社の正面は白山である。宝達はやや左にある。 撮影2008年2月2日
大穴持像石神社には地震石がある。撮影2008年2月2日
能登一ノ宮気多神社は、宝達の乾に位置し、遙拝所だった。
このこと一つをとっても、古代聖・霊山として宝達があったことになる。
Cには竜宮もある。
その宝達と加賀領主だった富樫が築いた高尾城が艮、巽の位置にあって、朝焼け・夕焼け、月・星を眺め合う光景が、当時の人々にあった。
絵がうまい下手など、ぶっとぶロマン世界だ。