FB 2月13日(水)より  ほーっほーっほーたる来い

 

2月13日(水)

真宗習俗論」を補うために、「加能民俗」の元である「金澤民俗談話會報」(昭和12年~)から、さーっと見直した。
より具体的には、「ほーっほーっ蛍こい・・・・・・」がこちらへ来て法を聞きなさい、とどこかであったのと、押水あたりの「講」ラインが何種類にも交錯していて、膨大な「お講」があった、そのことを報告した文があり、それを参考として載せておこうと思ったからである。

2、3度見直して、ようやく2つの記事に出会えたが、他にも面白い報告に出会った。民話で力持ちの僧と相撲取り、あるいは侍たち数名とのもめ事ばなしがあって、他に怪力「しろく」話がいくつか紹介されている。そのゴボサン方が、いずれも有名な布教使の出た寺院の僧たちなのだ、この怪力話は、説教話から民話、炉辺話になって採取者に伝わり活字になったいきさつが分かる。
 さらに、仲のよかった布教僧たちが、一息入れる話の主人公に、御互いを利用し合ったほほえましい光景も浮かんで来る。

...

 この過程の、怪力モデルが布教僧であることを知っている人はもういない。となれば、知っているもの(私)が、そのことを語り部として書き残していかなけらばならない。

そこで、書き残すものに「民俗」「習俗」を入れれば、「俗」の対立語「聖」などをどうするか?となる。
真宗の生活は「聖俗」に分けられるものではないし、清濁合わせて、娑婆に、時代に揉まれながら消長を繰り返してきたものなのだ。ー例えば,町域のお寺では、戦後の主食配給時に「お斎」を続けることができなくなった・・・・・・、など。

俗を用いないとすれば、真宗「土着」、「風習論」、「と土徳論」、「~の世界」「~の生活」「平生論」「いきづく真宗」「消長論」・・・・・・。何がいいかな・・・・・・。

羽咋まで、ドライブしながら考えよう。