FB 2月3日(日)より 網野善彦・小沢昭一・市川市鼎談
2月3日(日)
1990年「月刊百科」11月号(平凡社)。29年前のこの雑誌に、節談説教を含む鼎談が載った。網野善彦・小沢昭一・ビクタープロデュサー市川捷護氏によるもので、すごい内容で、面白い。『音と映像と文字による 体系「日本 歴史と芸能」』全14巻が発刊されることになったのを記念した鼎談である。
この14巻はvhsビデオと書籍がセットになっていた斬新な企画だったため、図書館の分類にはなかったのだろうー石川県、富山県の図書館には一冊も入っていない。
編集委員は網野善彦・大隅和雄・小沢昭一・服部幸雄・宮田登・山路興造の錚々たる方々である。
本体が見ることが出来ない。まして、「月刊百科」に鼎談があることを知っている人は、もうほとんどいないのではないか?多くの人が帰され、昨年10月2日3日に、思い出の能登を訪ねられた網野善彦夫人真知子さんが、90歳になっておられた。付け加えると、「月刊百科」には義兄の倉本四郎が、パロパロパンチ名で書評を書いていた。最も身近な1人だったのだから、パロパロパンチが載っている「月刊百科」の文もまとめたい…と、次々、思いは広がっていく。
フェィスブックを開くと、今何してる?と、出て来る。
ほっといてくれ、とまず思うところからして、ブログと違うのだが、いまは、とりあえず、この鼎談を取り込み、論著の参考に使えるよう、作業を進めている。
鼎談の字数は、20339文字400字詰め原稿用紙51枚分。細かい字で、すごい量の文化情報を圧縮して提供していた時代のあったことに、あらためてうなずいている。
昨日載せた山門も、真宗文化史があるとして、山門の研究は進んでいないのでは…。あの写真を見て、二階建て山門は雪国特色かな?と考え、調べてみようという人が現れてくれれば、いい…との思いがある。
そこで、顔写真を見ると、そんなことばかり考えていそうな
人物がいる。だいぶ前の写真で、おだやかなのに変える。
書いているうちに。そこへ行き着いた。
この14巻はvhsビデオと書籍がセットになっていた斬新な企画だったため、図書館の分類にはなかったのだろうー石川県、富山県の図書館には一冊も入っていない。
編集委員は網野善彦・大隅和雄・小沢昭一・服部幸雄・宮田登・山路興造の錚々たる方々である。
本体が見ることが出来ない。まして、「月刊百科」に鼎談があることを知っている人は、もうほとんどいないのではないか?多くの人が帰され、昨年10月2日3日に、思い出の能登を訪ねられた網野善彦夫人真知子さんが、90歳になっておられた。付け加えると、「月刊百科」には義兄の倉本四郎が、パロパロパンチ名で書評を書いていた。最も身近な1人だったのだから、パロパロパンチが載っている「月刊百科」の文もまとめたい…と、次々、思いは広がっていく。
フェィスブックを開くと、今何してる?と、出て来る。
ほっといてくれ、とまず思うところからして、ブログと違うのだが、いまは、とりあえず、この鼎談を取り込み、論著の参考に使えるよう、作業を進めている。
鼎談の字数は、20339文字400字詰め原稿用紙51枚分。細かい字で、すごい量の文化情報を圧縮して提供していた時代のあったことに、あらためてうなずいている。
昨日載せた山門も、真宗文化史があるとして、山門の研究は進んでいないのでは…。あの写真を見て、二階建て山門は雪国特色かな?と考え、調べてみようという人が現れてくれれば、いい…との思いがある。
そこで、顔写真を見ると、そんなことばかり考えていそうな
人物がいる。だいぶ前の写真で、おだやかなのに変える。
書いているうちに。そこへ行き着いた。