ヘイゼイゴウジョウ・ヘイゼイゴウゼイ・ヘイゼイコウゼイ

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「ヘイゼイコウゼイ」と母感謝、北國新聞朝刊「地鳴り」、2019年(平成31年)4月8日(月)


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「ヘイゼイコウゼイ」の教え、北國新聞朝刊、2019年(平成31年)4月1日(月)


 

同朋会推進員会の打合せの時に出た会長さんの言葉。

先生の話は難しい・・・と言っておいてもらえませんか、

と電話があった、とおっしゃった。

前回は、自分でも認める難しさだったと思う。

漢文を習ったことがない人たちが、真宗だけ「不」で、そのほかは「未」の流れだといっても、~ズ、イマダ~ズの基本からやっていたら、途中でいやになるだろうし、そんな時間もない。太宰春台の儒学、蟪蛄春秋を知らずなどなど

私たち凡夫が救われるにはお経(漢文)の読みに聖人の末法に生きる人々に対する読み、独自性がないと救われる読みにならない、そのことを押さえるために、時には難しいことも学ばなくてはならない・・・のです。と凛々しく訴えを却下した。

だいぶ前だが、組同朋大会の講師が「地獄一定すみかぞかし」を、「すみか」は「住み家」なので「地獄一定住み家ぞかし」のタイトルで話します、と「住み家」と印刷したプリントを配った講師がおいでた。

見るなり、以下のことを思い、尋ねたいのを押さえるのに苦労したことがある。

地獄は、棲み家、栖み家などどの語でも表せないすみかだから「すみか」なのではないですか(ホームの住み家を使う神経のなさ・・・)?。

 

大会に来ている門徒さんたちは私が各地で講師をしたりしていることを知っている。

そこで、歎異鈔に「す み か」とある意味を考えませんか・・・。などと肩書きのすごい?講師に発問したら、困るに違いない。このところ、ウケねらいの講師が多すぎる。

難しいとおっしゃるのは、ある程度分かっている、と思っておられる方でもあるのだ。

 

おっと、脱線・・・。

 

臨終往生と平生業成も同様で、真宗以外には用いない言葉に平生業成(へいぜいごうじょう)がある。

南無弥陀仏のサイン(印相)を来迎印と見れば、臨終往生になり、真宗以外はすべて来迎=臨終往生だし、同じサインを真宗では摂取不捨(せっしゅふしゃ)印といただく。

臨終待つこと無し、すなわち真宗の要たる語、平生業成(ヘイゼイゴウジョウ)についての記事が新聞に載り、それを受けて読者欄「地鳴り」の投稿があった。

そこでは、「ヘイゼイコウゼイ」と語られている。

 

かなり前になるが、私が能登教区教区会議長をしている時、幼稚園の存続問題だったかを話している時、坊守会代表の方(七尾市)が「ヘイゼイゴウゼイ」とおっしゃった。

私は、すかさず「ゴウジョウ」ですといい、その方も言い直されたのだが、まもなく「ゴウゼイ」になっていった。

 

納得し難かったが、「ヘイゼイゴウゼイ」と言い慣わしているエリアがあるのだと思うことにした。

 

そして、今回の「コウゼイ」だ。

ゴとコの違いは微妙で「ゴウゼイ」なのだろう。

あるいは聞法(もんぼう)がモンポウになるように、「業」が全く消えてしまってコと澄んだ発音に変わったのかも知れない。

調べたら「業成」と書くそうだ、とあるのだから・・・。

それにしても「ゴウゼイ」地帯は、かなり広いことを知った。