2019年3月27日(水)真宗大谷派能登教区第10組同朋会推進員協議会定例研修会。2018年度第4回

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20190327真宗大谷派能登教区第10組同朋会推進員協議会定例研修会

このところ、

太宰春台『聖学問答』

「今純(※注・春台)ハ一向宗ニアラザレドモ、孔子ヲ信ズルコト、彼等ガ弥陀ヲ信ズル如ク、鬼神ニ遠ザカリテ祈祷祭祀セザルコト、全ク一向門徒ノ如シ。」

とか、

蟪蛄春秋を識らず

顕浄土真実信文類三(教行信証・信)「蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」

往生論註・巻上「如言蟪蛄不識春秋。伊蟲豈朱陽之節乎。」

荘子 逍遙遊第一篇「朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋、此小年也。」

とか

鬼神に事(つか)えん

真宗聖典』(大谷派)   教行信証(化身土・巻)三八八ページ
論語』に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。
子の日わく、「事うることあたわず。人いずくんぞ能く鬼神に事えんや」と。已上抄出

真宗聖教全書二宗祖部』教行信証化身土巻 後序  201ページ
論語』(巻六)云。「季路問、事鬼神」。子曰、不能事、人焉能事鬼神」已上抄出

論語』先進十一 265 新釈漢文大系1明治書院  二四〇ページ
季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。

 の違い、

それがどうしてなのかを、考え続けている時の研修会で、

 前半は、難しくなってしまった。

 

親鸞聖人の漢文の読みは、あくまでも凡夫・衆生に本願他力を届けようとなさる(聖人に届いた)読みであることをキシッと押さえておかなければならない・・・・・・との思いがある。

 

原漢文にあたらないと、違いが見えてこないのだ。

子曰、能事、人焉能事鬼神(教行信証の引用)と、

子曰、能事人、焉能事鬼神では、

「不」と「未」、読点の場所が違っている。

未の方が、高校教科書にも載る一般的な読み。人に事えることさえ出来ないのに、どうして鬼神に事えることができようか・・・、敬して近づけずの「鬼神」だし、

「不」の方は、事えることなんてできない。人がどうして鬼神につかえることができようか。「鬼神」は、縁起の法とは無関係の、いわば「もの忌み」の対象、得体の知れない「もの」としている。

 

今まで、一度も漢文に触れてこなかったのに、

次々、問いかけられるように漢語が出てくるのだから

やはり、皆さん・・・・・・困られただろうなぁ

 

一方で、これらの疑問を語り合える人が、一人もいない(浮かんでこない)ことに、講義後の疲れが、いや増す聖人お逮夜日。