親鸞聖人と和歌

妙好人 千代尼』に

親鸞聖人正明伝』には「七歳の春より倭歌の御稽古あり。歌集なんども多くよみおぼえたまふ」とあって、
聖人は、早くから和歌を学んだとする伝承が育っていました。

と書いた。
そして九首の伝聖人和歌をあげて、ちょっとした解説を加えた。
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より具体的には、
親鸞聖人御一代記図絵』(1860)に次の話が載る。

治承三年已戌どし。十八公麻呂すでに七歳に成せ給ふ。
時に正月下旬、範綱卿の家において和歌の御会ありて堂上の方々集い給ひ、歌道不審を尋問るゝにより、範綱卿こたへて各々教諭し、すべて和歌ハ唯天地を心とし、詞を万物に取り、姿を先師にをしふこそ、道の奥旨なるべと云々。
十八公麻呂ハ障子を隔てゝこれを聞給ひ。
誠に和歌ハ天地自然の大道にして、神明仏陀も感応あるべき業にこそと、悟り給ふにより、
尓後(そののち)範綱卿に願ひて、歌道を学び給へり。

既に其年の冬にいたりてハ、万葉集を読覚へ 古今集を読誦(そらよみ)し給ひ。天晴歌をも善詠じ結へり。

※幼名の「十八公麻呂」は松の要素で、木偏の十八には弥陀の本願・十八願、弥陀の願いがこめられている。
この部分は、歌論でもある。

親鸞聖人御一代記図絵』

当寺「臥龍文庫」には、古書店から購入したものも含め、以下の御一代記(図絵)がある。
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中村風祥堂、大正二年刊
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中村風祥堂、大正二年刊(大字新版)

親鸞聖人御一代記図絵』大系真宗史料 伝記編3近世親鸞伝 
塩谷菊美氏・法藏館刊p273~4
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親鸞聖人御一代記 全』

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招禄翁著、万延新判
藤岡屋慶治郎
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そして
『康楽寺白鳥伝』には、

慈円僧正に)鷹ノ羽ノ雪トアル題ヲツカハレサシカハ、
雪身鷹羽
雪フレハ 身ニヒキソフル ハシ鷹ノ タゝサキ羽ヤ シラフナルラン

トヨミテ献上セラルゝトキノ使僧ニ、祖師聖人マイリタマヒケル。
天子ヲハシメ月卿雲客コトコトク感シテ、
僧正コソウタノ名人ナリ。使僧ハタレソトアリシカハ、
大進有範カ子息、範宴少納言ト奏セシカハ
サテハカレカ伯父モ師匠モ歌人ナレハ、カレモサアラントテ、ミヨリノ羽ト云題ヲタマハリシカハ、
聖人即座ニテ、

箸鷹ノ ミヨリノ羽風 フキタテゝ オノレトハラフ ソテノ白雪

トヨミタマヒシカハ、君御感ノアマリ御衣ヲタマハリタトアル。
天子ノ御衣ナレハ、聖人御一生ヱリマトヒニナサレタトアル。
依テ聖人ノ御影ニモ、御エリ白キ物ヲマトハセマシテエカク。

が載る。
『康楽寺白鳥伝』は、
塩谷菊美氏『大系真宗史料 伝記編3近世親鸞伝』(法藏館刊)P13から引用。