改悔(がいけ)批判、絵解き

30日能登教務所から、月ごとの行事予定などと共に、このビラが届いた。
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25日から29日にかけて御法話に出かけるお寺では、
改悔批判と絵解きの時間が設けられている。

かつて本山の改悔批判を確かめたら、普通の講義だった。
今は、名も無くなっている。

能登教務所の報恩講でも、改悔批判説教をなさる方々が、この世を去られたり、ご高齢であるためもう行われていない。
改悔のパターンは節説教される方が形を伝承しておられ、いわばプロ中のプロが伝えてきた説教なのだ。

改悔批判説教を語る人がいなくなったため、教区でも行われなくなった説教を、
素人中の素人である私が語るはずがない。

ただ、副議長と議長時代は、毎年教務所役宅に泊まり込んで報恩講期間を過ごしたので、改悔批判説教を人よりは多く聞いているはずだ。
テープにも取ってある。
説明文に「参詣者の安心をただす」とあるが、親鸞聖人の御前で、まず布教使の安心が正されなくてはならず、僧の「改悔」を聞き、ともども安心の改悔文を口にし、報恩報謝・仏恩報謝の念仏となっていたのかどうかを確かめるのが改悔なのだ。

これがなければ、慢が増長し続け、オレがおれがに輪を掛けることにしかならないのに、改悔が無くなった。

どうしてだろう?と考える場になればいいのかな・・・、と
伏線を張っておいて、
「朗々と語」った時代があったことはあったが
講者西山が朗々と語ることできるわけがない、と、
このブログ記事は、急ぎの宣言である。