法縁ー大谷婦人会ひじり支部(10日)、高岡教区五位組寺院婦人会(12組)ー5日夜以来の耳の痛み・頭痛・腫れ。その後・・・

新たな法縁が生まれた。
それが縁で、続き、広がる場合もあるし、路上の出会いのようになにごともなかったかのようにすれ違うこともある。

一つは、金沢教区の「大谷婦人会ひじり支部」。
縁のきっかけは、千代尼の墓がある吉藤専光寺さんを通りかかった時、『妙好人 千代尼』リーフレットなどを、見ておいてくださいと事務局に置いてきたことによる。
千代女が篤信の御門徒妙好人と位置づけられることについて知りたい、ということになって9日に金沢に泊まり10日(月)に金沢教務所でお話しした。

この時のことを、次のように報告した。

同封プリントを用意して法座にのぞんだ
7名の坊守さん方のテキパキした運営・動きで極めてスムースに法座が進んだ。
千代尼に関しては、朝顔につるべ取られてもらい水、の句がなぜ35才を境に朝顔や・・・に変えたのか、
あるいは三界一心の句が、今まで禅宗との関わりでしか解説したものがなかったのを、こういった千代尼の句全てが真宗の教え中で深まっていき、
自信教人信の具現化した「句」であることを初めて『妙好人 千代尼』で指摘した為、多くの会員が千代尼が篤信の門徒である、そのことを聞きたいとのことだったが、九十分程度で時代・俳諧真宗・風土の総体を話せるわけもなく、部分的な説明で終えてしまった。
全て巡回員(私)の責任である。
会場が金沢であり、赤本(勤行集)72頁「集会」の作曲者が金沢美大の校歌の作曲者であること、
会名の「ひじり」は何を由来にしたのか支部長さんたちにお聞きしたところ、こういう集まりが「ひじり」の集まりだと聞いたので・・・程度のお答えだったので、
堀一郎五来重氏あたりの「ひじり」説は、「日知り」「火治り」=聖であることなど―私が普段考えている「今現在説法」はこの場にある、ことも例としてお話しした。

はじめに書いたテキパキと会の運営、だれが参加しても共に聞いていこうとする場を目指しておられることが伝わって来て、近くに住んでいれば、色んなところでお手伝いしたいと感じさせられる―展望を持った会・支部だった。
これは一般論だが、足元に法縁と出会える場がいっぱいあるので、歩いてみるのも(散策法座)一つの方法ではないかと思う。


この日も豪雨で、帰りは迂回路を経て帰宅した。
このところの暑さ、熱中症、疲れ、風邪、耳炎が原因だと思える痛みで耳を冷やさないと眠りに入れない状態が続いていた。
先輩に書いたメールから

このところ不思議な出会いがはじまっており、
今月4日に高岡お西の奥さん方が10人で当寺にやってきて勉強会。
5日(水)は今講師をしている坊守さんたち10名連れて吉崎まで1日研修。
翌日砺波を中心としたお寺の役員さん達が40数名、10月に当寺で勉強するというのでその先遣の方々がやってきて、10日には金沢別院で大谷婦人会40名近くの方々に講演と・・・、お西、砺波の役員さん達はどうして、誰がここを紹介したのですか、と聞かなければわからないし、大谷婦人会も始めての縁・・・、その後も、図書館友の会、石動山などまだまだ続くはずです。

ところが、台風・豪雨騒ぎで4日はキャンセルとなり12日に。
6日の方々も道路が通りにくいなどの理由で13日に延びたのですが、この間、体の方が大変なことになりました。

5日の朝方に掛けて台風が真上を通過していき、被害は無かったものの木の枝葉が道路にとびちり、5時過ぎからあせだくで掃除し、吉崎まで雨上がりの沼地やその他を案内して帰って寝た所、右耳炎になり痛くてほとんど眠れない状態になりました。
疲れ、何となくの熱中症くささ、いよいよ来たな、と風邪にルル3錠やら頭痛にノーシンやらを飲み、
風邪疲れがなおれは耳炎もなおるはずと耐え、2日後には熱が出て、通り過ぎたかと思っていた9日。
10日のためにホテルに泊まったのですが、一向に痛みは治まらず右の耳炎が左にも広がってきたような印象。
この日も大雨で迂回路を通りながら家に帰り、翌日は、寺役もあったりで、誤魔化しごまかして休んだのでしたが夜中に氷を取りに行こうと触ってみると顔左半分がバンバンに赤く腫れあがっているではないですか。
お医者さんへ行きましたねぇ。
右耳の後ろを(多分)蜂に刺されていたのでした。
その日は、高岡の寺院女性会の方々がおいでになる日で、運悪く妻が坊守会長を引き受けていて片山津に泊まりがけ研修に行っていておらず、テーブルや黒板を出すのがやっとでした。
腫れて赤い顔について、まず感染症ではないのでと説明しなければならないし、客人さん達は4日に来ていれば、こんなに苦しそうな人の話を聞かなくてもすんだのに・・・と、申し訳なさそうだし、
こちらも、こんな顔で、と申し訳ない同志が時を過ごすのですから大変でした。
この日はこの講義前とあとの2回点滴。
翌13日、点滴ー砺波地区門徒会代表者と打ち合わせー点滴、役員会資料作り
14日 点滴 当寺役員会 お斎はつかずにこの日2回目の点滴
15日 点滴 翌日の親戚年忌・「伯母の思いで」資料作り。寺役。点滴
16日 一時間半の距離にある親戚の住職継承式、年忌に。
お斎にはつかず、帰って点滴。点滴のあと寺役。
17日、寺役の合間に点滴。
土・日とお医者さんは私だけの為に病院に来てくれ、点滴をして下さったのです。
これも、ただただ申し訳ない・・・・・・。
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その後、

18日(火)は、11組~14組坊守会。ちょっと腫れぼったい顔だったが、確実に元にもどりつつある。
22日(土)、12組門徒
どちらも、今までになく多くの方が参加なさっていた。
23日(日)お彼岸中日で、吾妻町の上げ御講があったこともあり、「彼岸の御文」にある「天正時正」、特に「時正」についてお話ししながら、東が「吾妻」である説話などもお話しした。
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明日(27日)の同朋会推進員会の資料も作り終え、
26日午後はゆったりと時を過ごしている。