27回忌を迎えた伯母の思い出-9月16日(日)

伯母27回忌、従兄7回忌、住職就任記念法要が9月16日(日)に輪島市皆月で営まれた。
血縁者では、私が最も年寄りである(-そうだったのだ)。
かつて「能登を知る会」機関紙に、伯母に頼んで民俗資料を作ることができたいきさつを書いたことがあったので、
そのことを親戚、門徒さんなどにお伝えしておけばいい・・・と思っていた。

頭がボー--としていたが、15日に用意し、16日法要後のバタバタしているときに関係者代表にお渡しし、お斎はつかず(つけず)に帰った。
お斎につけなかった事情については別に書くが、ともあれ次のような出来事である。

 同封の資料の中央下段に、今日のお年忌・普照院釈尼妙元、本名元さんが登場します。
 私ごとで申しわけありませんが、私にはオジ・オバが、母方の伯母(松岡元)・叔父、父方の伯父・叔母(蓮池多喜子)の四名しかおらず、それだけにといいますか、大変可愛がってもらいました。特に元さんは一番上で、何かあれば頼っていました。お年忌を機に、元伯母さんに頼っていた一つのことを書いた文を思いだし、それをコピーして参りました。

 実は、この精霊船は二つ作っております。国で作るのを知って、石川県立歴史博物館が二度と無いチャンスなので作って欲しいとのことで、県の歴博にも同じものが展示されていました(館をリニューアルしたので、先日担当者に問い合わせた所、資料庫に大切に保管しているとのことでした)。
 二〇一一(平成二十三)年十一月に、県退職者会能登支部(女性会)でこの話をした所、「わたしの父だぁ!」との声があがりました。姓は変わっておられましたが制作者・大積さんのお嬢さんで、その後、「父からは国立歴史民俗資料館の物は作ったと聞いていたが、金沢にもあるなんて・・・、妹と一緒に見てきたい・・・」との便りが届きました。
 国の方は、どういう経緯で展示資料が集められのか分からなくなっていると聞いたことがあり、この資料を送ってあります。
 これから、ますます貴重さをまして行くに違いない民俗資料のふるさとの一つに皆月と伯母があり、大きな役割を果たしていた想い出を伝えたく、一言、認めさせていただきました。
                       飯田 西勝寺 西山郷史
九月十六日

資料

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