あじさい-雨にぬれてる手の中で ひとり泣いてるあじさいの……-
境内には、かなり「あじさい」が咲く。
その頃になると、
「雨にぬれてるあじさいの、うるんだ瞳が(~間をおいて)
二人を連れてきた」
という詩か何かはっきりしない、一節が浮かび、あじさいの季節が終わると共に忘れる、ことが続いていた。
写真にした一枚の紙が残っている。
間違いなく静岡時代の話で、あらためてその詩を確かめてみた。
1、雨にぬれてる手の中で
ひとり泣いてるあじさいの
うるんだひとみのせつなさが
ここまでふたりをつれてきた
2、風の吹いてる木の下で
心さびしいあじさいの
かわいた唇いとしさが
ここまでふたりをつれてきた
3、雲の浮いてるみずうみで
?のふるえるあじさいの
とぎれることばのかわいさが
ここまでふたりをつれてきた
4、波のよせくる砂浜に
打ちよせられたあじさいの
静かなねがおの安らぎが
ここまでふたりをつれてきた。
※”あじさい”という歌です。
私のとっても好きな歌ですが西山君知っていますか?
とある。
7・5×4句=今様、御和讃の詩形である。
生活であるお朝事に、毎日あげる御和讃と同じ詩形であることにあらためて驚き、
雨にぬれてる…と自然に浮かんでいたのも、
そのためだったのか……、と懐かしさの原点に出会ったような気持ちになった。
そのついでに
この歌の出典があるかも知れない、と調べたら
「あじさい」詩とmp3演奏(クリック)
が見つかった。
”あじさい”という歌は、詩のみだと思っていたのだが、曲のついた詩で、
高知の高校生()が作詞し、先生が作曲した歌だということがわかり、
3番の「?」が「胸」であることも分かった。
となれば、この詩を送って下さった藤枝の上野とき代さんに、
「?」がわかったよ!と伝えたいが、
詩を送って下さったのは昭和40年(1965年)9月。
それから53年目の原作との出会い。
ドラマだ……。
そして、素敵な曲だ。
7日露地