臥龍文庫・臥龍山ー出版ー

真宗寺院境内に、経堂のあるお寺がある。
報恩講(4日~8日)の御布教に来ていただいたお寺には、文化財に指定されている経巻のある、立派な経蔵がある。

報恩講、満日中に手伝ってもらった親戚寺院には、数百点の文書があり、コピーを取ってある。
その寺院に原文書があるのかどうか?聞いてみたが、世代が変わって数年経つこともあり、あるのかどうかさえ分からない状況のようだ。

次も親戚。
多くの和本があった。一枚づつはがさないないとならないものも多かったが、近世後期から真宗住職がどのような書籍を有して、どう勉強したか調べたものはないので、貴重な資料になるから残すように言っていた。
そこでも庫裡を建て替える時、廃棄したようだ。

ところで当寺の状況は、
旧家の襖(裏張り)約二十枚。
家をしまうので、あるいは置いておいてもどうしようもないので、などの文書や縁起類が数百点?
当寺に伝わって来た和綴じ本は、奥の建物に広げてあり、夏に整理するはずだったが、もう11月。
座っている回りさえ、広がる一方で、わやくそだ…。

もうひとつ、わやくそ状態があった。
今確かめてみると、2013年10月、ある出版社関係の人と会うことがあり、教化の最前線にいる者としては、このような本があれば助かる、とお話しした。
そのうちのある分野について、本にしようということになった。
それから、得意の文献集めから始まって、
膨大な量の下書きを書き、6万字ぐらいに絞るまでは進んだのだが…、
本にするには編集者と打ち合わせなければならない。

能登の先端にいるものさえ、そこを目標にするのだから、
多分、襖の下張から、よく聞く科研費をもらって成果を本にしなければならないといった類、○○上人○○年記念などを、抱え込み、しかも増え続けているのだろう。

虫干しを片付けることも出来なかった(しなかった)状況で、
能登の方で語ったり、書くことが多いせいもあったのだろうが、今年は一度も編集者と会うことがなかった。
そのうちの、今年は、気づいてみると、あとはお取り越しの日々が続いて終わるのだから、泊まりがけで…は難しい。

このままでは、下書き、さらにその下書き、これからの初稿に備えておいてある書籍類などが、広がりっぱなしのままになる。
意を決して、自分で本にすることにした。

能登に関する本は、かなり出しているが、一地域であっても、真宗ならばベースが全世界だから、今まで本を送っていただいた方々やお世話になった方々にお返しもできる。
一般書から、お礼を遂げる本に切り替え、
あとがきは、27年前刊の『蓮如真宗行事』、17年前刊の『蓮如上人と伝承』以降、
この単著『妙好人・千代尼』の間に、真宗関係で何を書き、何が整理されていないか、
さらに奥に社会変化・過疎と、どう関わればいいかの問題提起を流しながら、あとがきも書き終えた。
B6、248ページ。
今月中には出来上がり、書店ではなく、手元に届く(予定)。

今までの流れだったら、『妙好人・千代尼とその時代』といった内容だが、
注釈もない、読み物として作ったので、『妙好人・千代尼』。

住職になって27年間の講義などであった、質問
すなわち
親鸞聖人は和歌を詠んだのか?、明日ありと思うこころ…は何に出ていて、幼少の聖人の歌と見ていいのか…。

千代の句中、妙好人らしい句は…。
蜻蛉釣り…の句は、どのように生まれたのか…等々についても書いたので、欲しいと思われる方があるかも知れない。
一応、1300円くらいの値段をつけることにし、発行元も考えなければならない

そこで、発行元を、意味も分からず、子供のころから本の裏に押していた判子「臥龍文庫」にすることにした。
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虫干ししている建物には、文学、考古、歴史、民俗関係の本が置いてある。
建物そのものも、判事官舎、境内に移ってからは別宅と言っていたが、これからは「臥龍文庫」。略して「文庫」になる。
背後には、臥龍山(城山、春日山阿弥陀山)。

私の部屋回り(真宗、仏教、郷土史、文書類)は、「書斎」ということになる。

あとは「文庫」と「書斎」の整理整頓…∞。

お朝事を終え、「書斎」に帰ってきたら、掃きだめのー鶴が浮かび、鶴ではない、「たぬき」だ。
昨晩、新聞社からクジラが捕れたのでコメントをと電話がかかり、
先ほどは、イノシシの肉がどうのこうの…、

急あつらえの「文庫」「書斎」より、周りはタヌキ世界が優勢だ。