お盆からー秋へ 講義予定

今年は、11日から13日が忙しかった。
13日は孫たちが翌日からクラブが始まるなどの理由で、都市部へ帰っていく。孫たちとの賑やかな墓参が多かった。
16日は野々江地区をこの日にしており、寝ていて足にけいれんが起こることはあったが、今年は山のお墓が混んでいるので、と呼ばれることも無く、淡々と乗り切った。

17日には早く寝たこともあって、4時に目が覚めた。
これまでは夜明けに目が覚めることがあったので、夜が明けているだろうと間もなくホウキを持って、路上に散っているタブの葉を掃きに出たのだが,暗い。
街灯をたよりに、蝉が鳴き出す頃に掃き終わり,時計を見ると4時45分。
5時過ぎに空が明るくなってきた。
あっという間に秋になっていた。

これから、いくつかの講義がある。
今日(18日)は、
○8組坊守会ー会所・大箱願生寺さん。13時半~
レジメ
1、末代無智、17・18願、日ごとのご命日、御文その他15~20日
 化身土の巻に出ている親鸞聖人の末代をもう少し調べてから,講義に臨む予定。
2、『悲の器』(高橋和己)、「かなしみ」の哲学。原典『往生要集』には「悲心の器」。仏心者大慈悲是などと共に、「こころ」を問う。
3、三帰依文と御文一帖の9通目、さらに「悲嘆述懐和讃」「改悔文」
2か3は,別のくくりにした方がよさそう。とくに3は、真宗地帯に盛大な祭りが多いというか、真宗地帯だからこそ、結やよばれを基盤にした、エネルギー解放(時には疑似打ち壊しもあった→出し物の長大化によるエネルギーの吸収)の祭りが盛大、そこに神祇がどう入りこんで来たのか、を問わないと、旧村びとや僧侶・神官たちは、二重のしかも、相容れない精神生活を生き続けなければならない。
昨日遠方からお墓参りにおいでた70代後半、相撲が強かった人が、子供の頃、祭り近くに祖父が死に、太鼓叩きをはずされた。それでグレタと話していかれた。子供が理解できない社会が存在し、傷つかせる…考えさせられる。

20日(日)
○同朋会推進員勉強会ー当寺。13時半~
※案内葉書は、一週間前の13日に出した。

22日(火)
○宝立公民館 18時半~ 
空海伝説の里 宝立~見附島から法住寺へ~』、「空海伝説MAP」ができあがり、その記念に少し話を、ということのようだ。宝立山能登の名山、阿部判官伝承あたりをお話しするつもり。
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23日(水)
能登・加賀・越中境「三国山」散策 日中
○二十三夜踊りについて 夜8時半~ 翠雲寺(旧高勝寺)地蔵堂
丈六・室町期とみられる延命地蔵を祀る地蔵堂で講義。24日が将軍地蔵の縁日で権現気多信仰の原点を伝える踊りが続いている。輪島の三夜(重蔵神社)踊りも由来は同じ。見る機会があればと思っていた行事に、話が出来る。
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本日、奥能登塾担当者来宅。今度は能登の言風景とでもいうべき「石動山」へ行こうとの案が出ている。1人じゃ行きにくいところなので、塾としていこう、と。その相談においでる。

昨日、夜、志賀町堀松公民館館長・吉本氏から電話。講演依頼。
吉本氏は羽咋工業で同じ国語を教え、同じ年。
彼は志賀中の校歌を作詞するなど国語世界を歩み続けている。話しに行けば会える。
こういう場合は、(偉そうだが)断らないというより、いそいそと出かける。
志賀町になると半日費やさなければならない。まずお寺なので、約束できる日がある程度限られてくる。それで9月5日の午後に約束した。

ということで、石動山は10日かな?
※9月26日の予定となった。8月29日下見に行く。

もう1つお手伝いしたい話が聞こえてきた。5日午前でいけるかどうか…。

6時半になった。雨模様だ。
薄暗いはずだ…。