書籍/抜き刷り

珠洲市文化財

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前の同書では、半分くらいの項目を点検し書いたはずだ。
その前が、市最初の本で、この時誰が書いたのか。分からなくなっている。
最初の方々が最も努力して書いているので、そういう流れのページが必要なのではないかと思う。
それも文化伝統だ。

加藤周一における〈日本的なもの〉ー「土着世界観」との関係においてー」

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干場辰夫氏、昭和音楽大学研究紀要 第36号 2016 別冊
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中島町史』抜き刷り(平成7年3月刊)
一緒に仕事をした。22年前のこの頃、私が民俗主任だったので、機会があれば一緒に調査に回った。
干場氏は、ほぼ原稿下書きを書かれた時点で政界に出られ、その後、横から見ていると波瀾万丈。
現在、昭和音楽大学舞台芸術政策研究所研究員(のようだ)。
音大と聞いたとき、彼は立派な体格なので、どうしても、オペラ、バリトンのイメージを抱いてしまい、思う度に、あり得ぬと払拭してきた。BS日本のメロディ?だったか、同大の方々が歌っておいでる。すると、干場氏が歌っている姿が想像され、困る。
音大でも、「政策」部門ならぴったりだ。
京大法卒、同志社法博士、出で、若いころ某大講師時代はTVで選挙分析などもなさっていたし、国会議員の政策秘書もなさった。
ようやく、こころから納得。
干場氏著書『東京23区区立博物館』

真宗の文芸世界と絵馬文化」

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戸澗幹夫氏、石川県立歴史博物館紀要 第26号
加賀の神社にある大絵馬の報告と分析。
石川では、近世、近代の庶民生活がほとんど取り上げられなかった。
市町村ブームも過ぎ、関わった方々が、個別テーマーの研究を深められる時に来ているのだと思う。
加持祈祷排除の真宗なのに、どうして神社拝殿に真宗関係の絵馬があるのか?
実に興味深いテーマーであり、貴重な史(資)料提供である。
拙著『蓮如真宗行事』を参考文献の1冊として取り上げておられるので、送ってくださったのだが、
27年前に出した、この本が、いつまでも役に立っていてくれている。

「特別調査報告 旧七条村道場史料」

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松金直美氏、同朋大学佛教文化研究所紀要 第36号
松金氏は、大谷派の教学研究所所員。
七条村道場は、長浜市七条町にあった道場。

戸澗氏の論と共に、慶応4年の神仏判然令から明治8年の信教の自由が勝ち取られるまでと、その前後の寺院、道場の動きがどうだったのか、が問われると思う。
というのも、明治8年以後、しばらくしてからかなりの道場が退転していき、現在までに廃寺、移転している寺庵がかなりある。
そこには、教団勢力を隅々にまで広げようとの動きがあった一方で、それを支える藩政期にあった既得権ー寺檀制度(宗判権)の崩壊ーが失われ、新宗教へ移動する門信徒もかなりあった。そうなると本寺の道場合併吸収という事態も起きてくる。
この図式は、現在の霊柩車・葬儀場の専門業者の進出、人口の都市移動、新宗教との関わりなどを見ると、同じ図式として、現代の寺院、道場にすっぽり当てはまる。

私は、冥加金を積んで、折角生まれた、明治前期、幕末期の新寺・道場が大いなる夢を持ちながらも、長く続くことがなかったその点に、何が原因なのかにこそが興味がある。
それを分析することによって、これから先の対応ー教えの衰退を防ぐーことにつながると、最近感じている。

その前提として、道場の成立がなければはじまらないので、松金さんのこの仕事は尊い