昨日と同じコース
木住・能登町
瑞鳳・穴水町
旧能登線・中居駅跡
向かいは中居の町並み
小牧ー七尾市中島町
千柄不動
向かいが別所岳道。
盗賊宿の伝説がある。
『中島町史』の調査した27年ほど前は、この不動周りは綺麗ではなかった。
昨日、寄ったときは清掃されているのに驚いた。
今日、草刈りをなさっていた竹中弘さん(昭和3年3月9日生、88歳)とお会いした。
峠の4体の石仏を知っておいでになる。
昔の道と余りに違っていて、探す手立てがなかったのを、案内してくださった。
まず、小牧旌さんが汽(気)車の車窓から見つけて、教えてくださった「助作地蔵」(鹿島台旧三叉路)
を案内していただく。
助作地蔵
舗装が途絶えてからかなり行ったところに三叉路があった。
一人ではとてもたどり着けない場所だ。
案内してくださった竹中さん。
左に「勢登助作」
右に「右ナか」「カウら」
文原地蔵
長根尾髭地蔵
最も探し出したい地蔵菩薩。
谷に田圃が有り、湧き水があって、水を飲みに行った。
そこに探している地蔵があるはずだというので、斜め斜めに降りて探すが見つからない。
水があるやや広い場所もあり、そのあたりにありそうな予感はあったが、探し出せなかった。
あちこちに工場、会社が建ち、道も広くなっている。
旧道らしき道を、時には水が浸みる道を歩いてみるが
長根尾地蔵は見つからなかった。
中島町史民俗編は、干場辰夫、宮山博光、谷内由美子氏と共に調べ、原稿を書いた。
途中で宮山氏が世を去り(平成7年2月24日)、干場氏が政界に打って出られたために専門委員を辞退した(現在、昭和音楽大学教員)。
谷内氏もご両親の看護で調査時間を取ることが出来ず、
民俗主任だった私が、それぞれの原稿の最終段階を継ぎ足し、全体をまとめた。教員を辞めていたから出来たのだと思っている。
それだけに、中島町史に対しては思い入れが強く、歩いたところをしっかり覚えていると思っていたのに、それが幻想だったことを思い知らされた。次の宗清もその一つである。
筆染村宗清
宿題の一つである、大乗妙典を寄進した筆染村宗清について。
宗清の墓があり、盛り土から写経を納めた壺が出土したと伝わっているが、その墓石を、筆染の墓地で見た記憶がある。
ところが、筆染地区の墓は家ごとであって、共同墓地はないのだそうだ。
車を走らせて見たが、昨日・編さんのお世話をなさった飛田さんが言っていたとおりで、墓地区画は見つからなかった。
宗清の墓を見た記憶、あれはどこの墓地なのだろうか?
昨日今日と、様々な思い出のある中島町史の思い出の地を、気分転換に訪ねてみるのもいいなぁ、と思っていたのだが…、
整理して捨てたか、誰かに託したかで無い、場所を書き込んだ地図でも見ない限り、どうしようもない。