懸案 全てクリアのはずが

大きな仏事が終わり、眠れるかと思いきや、午前3時には目が覚める。
今日は、気になることをやってしまおうと動いた。

もともと、調査においでる方があって、こちらで決めたところや相談しながらのご案内のつもりでいたのだが、そのような調査ではなかったので、時間が出来たためでもある。

庚申塚

気にしている宮犬の「庚申塚(地名)」がどこなのか、遺跡が出たところを通りかかると年配の方が畑仕事をしておいでた。
良質の石の産地で、想像もつかないが舟で石を運んだのだそうだ。
山道があって真脇まで続いている(いた)とのこと。

木住

猿鬼伝説のある光景。
瑞穂・山田郷の写真をバンバン撮った。
典型的な中世田園風景なのだろうー犬と人間対猿鬼
支配の構造が変わる話にふさわしく、豊かなこの地を求めた争いがあった、
想像が駆り立てられる光景

北村拓美さんのアトリエ、襖絵「極楽浄土」

瑞鳳、自然の中のアトリエを訪ねた。
昨年暮れに、ぶらり能登が出て以来、行こう、行こうと思っていた。
月、海、星、立山連峰、それらが刻々と姿を変え迫り、遠のく。
北村さんに聞いて初めて知ったのだが、元々瑞鳳山という山名なのだそうだ。
穴水に山号・鳳至山のお寺があり、輪島の鳳来山。
鳳の里にもう一つ、なだらかな「瑞鳳」という山が加わった。
能登名跡志』には中居八景が載っており、
「瑞鳳秋月」がある。そして
我が影の雲とさはるや海の月、の発句が載っている。

すぐ向かいに中居の山寺寺院群の灯り、
漁船のきらめき、湾、能登島、すべてがほどよく眺められる丘陵地帯が瑞鳳だ。

さらに、この地の鋳物師(中居鋳物師)が内裏より燈籠鋳造の命を受けたとき、綸旨を受けたのが瑞鳳山と伝え、その旨を記した「瑞鳳山記」がある。
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私が宇出津、飯田高校に勤めていたはじめの頃は、金沢出張は中居を通る道しかなく、
そのころの思い出・旧中居駅を通り、中居の西蓮寺さんを訪ねる。
北村さんが描いた「極楽浄土」の襖絵があるためで、北村さんにも同道願った。
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「ぶらり能登」では触れていない作成にいたる背景をお聞きし、
襖絵を見た時、
蓮と天女の清楚・無垢さの美に、思わず合掌していた。

中居を訪ねた印象が強いものに、網野善彦さんご夫妻を車にお乗せし、中居鋳物師の研究者・長谷進さん宅を訪れたこと
能登を知る会」の研修、
穴水・鵜川組が坊守会がある。

『新修中島町史』資料編上巻、地蔵菩薩写真、小牧旌氏

町史の巻頭を飾っているもので、長根尾髭地蔵(中島代本地区)とある写真。髭地蔵はいかにも思いつきの名で、時々こういった目立つ相を名にしたものを見かける。
菩薩の相の特色はほかにもたくさんあるので、ふさわしくないのだが、中島町史の地蔵信仰は、私が担当したので、口絵キャプションともつきあわすべきだった、と30年も経ってから、思った。
これも、どこにありますか?と訪ねてくださった方のおかげだ。

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この時の調査ノート、略図を見ると、植物学者の小牧旌さんが、七尾線列車の車窓から板碑らしいものが見えたと、教えてくださったその地蔵だと判断した。
それくらいの地図スケッチなのだ。
しばし、小牧さんの思い出に浸った。
能登島の海岸部で、そこにしかない貴重なシダを示してくださったこと、
テクテクと歩いていて車にしか出会わないので、道をそれて交番に行き、歩いていい道なのかどうかを訪ねこと、
北方4島のどの島かで、膨大な植物資料を作られ、敗戦の時それを全て埋めてこられたこと、
など、色んな話を聞かせていただいた。
中島町史の時には、七尾小島町のご自宅へよくおじゃましたものだった。

その小牧さんとの思い出が詰まった地蔵…(のはず)、探せど探せど見つからない。
ほぼ30年の間に、どこかに行ってしまった、を結論として石仏会員さんに報告しようと思いつつ、
帰宅して、今一度図を見ると、どうも道の反対側を探していたようなきがしだした。
当時編さん室の中心だった飛田氏に電話を入れる。
話し合っているうちに、反対側説が有力になった。

これらも含めて、バンバン取りまくった膨大な写真データーが壊れ、全て消えてしまった。
別所岳の小牧側登り口の不動明王(盗賊宿の伝説とつながっている)
が綺麗だったので撮ったもの、
苔むして何かわからない久四郎型地蔵菩薩なども消えた。
娑婆だ。

明日元気だったら、もう一度回ってこよう。