月ー十三夜ー、韋提希夫人と方便法身尊形(観経)、阿闍世王と月愛三昧

13日、お取り越し(御門徒報恩講)にお参りしたお宅で、見附島で月見をするのだとの話しを聞いた。
見附島に関しては、見月島と書いた文献があり、二十三夜待ち、庚申も盛んに行われていた時代があったことを、このところ何度も話している。
見附島の月見には加わらないが、先日の鳳至郡御崇敬で「月も見て、われはこの世をかしくかな」(千代尼辞世句)や、私たちのご本尊のサインは「摂取不捨印」で、最も苦しんだだろう女性(韋提希夫人)の目の前に姿をあらわされた阿弥陀仏のお姿だということをお話しした。
その時、彼女を苦しめた存在(阿闍世)は、どうなったか?
懺悔の中で、釈迦が示したやわらかい月光のような姿(月愛三昧)によって救われることが出来た、とも話した。

会所と七尾湾北湾が近く、多くの門徒さんが補陀落浄土に譬えられた月光の綺麗な海岸近くに住んでおられる。
事実、翌日電話で話した方は、あの晩、月を見ました、とおっしゃっていた。

もうそうなったら、穴水湾に月を見に行くしかない。
向かった。
能登島の対岸・甲(かぶと)。丸山が美しく、まずそこを目指す。
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宇加川
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沖波からの甲・丸山
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甲・丸山
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曽良
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中居
下に見えるのはボラ待ち櫓


甲には、宇出津高校の教員をしていたころクラスキャンプをした思い出がある。
昼は泳ぎ、夜は夏の月光をテント越しに見るつもりだったのが、雷雨に襲われ、テントをたたみ
ずぶ濡れになりながら、対岸にあるお寺・大蓮寺(能登国三十三観音御詠歌を書いた恵寛禅師がいたお寺ということで調べたことがある)に助けを求め、クラス全員で本堂に泊まったーことがある。
あの時も、月を見ていない。

鵜川から海岸沿いに古君・宇加川・前波・沖波・甲・曽良・鹿波・岩車・比良と周り、穴水で食事を取り帰った。

十三夜で分かったことは、月の出が早すぎて、暗くなった頃には月がかなり高いところにあって、海との関係が分かりにくいことだった。
なるほど、二十三夜、地蔵の縁日24日の月を意識してきた風土があったのだと、思えた。

摂取不捨印、来迎印

月を遠くに置きながら、ドライブをしている中で、今までも上品下生印(美術関係)、来迎印(仏教関係)でご本尊の印が扱われていたが、平松令三氏たちがおっしゃっている摂取不捨印なのです。と得々としていってきたが、
何だか真宗は特殊なんだ、とそれにあぐらをかくことはおかしいのでは無いかと最近思っている。
少なくとも聞法の場がこれほどあるのは真宗にしか無いのだし、他の宗派の関係者(檀家)の話しを聞いていると、僧と檀家の関わりは葬儀と年忌しか無いようで、そこにイベント的なものが入り込む。
真宗も御座が減りつつあり、僧・門徒と共に聞く世界が急に希薄になってきた印象がある。法話の場が大事なのに、そこへ帰ろうとしない。
僧が語るためには、学ばねばならないー語る場がないから学ばない
そのような関係なかで、法話のかわりにやはりイベントに向いている感がある。

そこで、なぜ来迎印ではいけないのか、をもう一度考えてみた。
親鸞聖人は「臨終待つこと無し」とおっしゃている「平生業成」だからだ。
臨終来迎ではない、平生来迎なら問題は無い。
むしろ目の前に示しておられる印相は平生来迎印と呼ぶべきなのでは無いか?

御崇敬の席で、ある僧分からコンゴウはどの字が?と問われた。
真言に遠慮して、「魂迎」が多いのですけど、おそらく石動山で用いていた「金剛」に遠慮して(違いを出すため)用いたようで、金剛信心の「金剛」がいいです。
とお答えした。

日本中仏教徒の時代は違いも必要だったろうが、
「義無きを義とすと信知」し、和を以て貴しとなす(王法)が基礎にあるはずの真宗に帰って、
特殊化していた用語をもう一度確かめ、真宗こそが仏教の王道を歩んできたところに帰っていかなければならないのだと思う。
そのひとつが、摂取不捨印であり、
歓喜光院・乗如上人と門徒たちの法座に於ける教えの生きた深まりー当時の御消息ーだった。


ところが、このところ、往生がどうの、ボランティアがどうの、とむしろ混乱を義とするような動きが生じていて、ますます自信を持って学ぶ場が無くなっている。
門徒が最も耳にしている「寝ても覚めても称名念仏申」している僧俗が様々な話題を問題にするのなら、
共に学ぼうかという気にもなるが、念仏の声は全く聞こえてこず、存知の理屈ばかりが聞こえてくる。

御同朋に立つには、違いを超えて生きてきた人ー妙好人ーに聞くしか無いと二年ばかり前に原稿を書いたのだが、
妙好人、凡夫の願いは、変化の時代に置き去りにされ、ますますの混乱状況が広がっている。

来年は坊守会にも講師を再び務める。
御崇敬でお話ししても、話しきれないことはこの本を読むといいですよ、と薦めることが出来ない情けなさ。

すぐ近くで印刷しして、お参りのお話しのたびに配ることが出来ればどんなにいいだろうと、思いながら
1年以上経った。

月と共にのドライブは、そろそろちゃんとなさいよ、の呼びかけと語り合いながらの旅ともなった。

月愛三昧
月も見て我はこの世をかしくかな 千代尼
月の砂漠
月光…