鶴来別院、鳥越城ー10月12日(水)

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久しぶりに寄ったが何の解説もない。
2010年に訪ねた時には
金沢本多の森にあった本多家(加賀藩筆頭家老・5万石)の門を、昭和32年に移転。
と書いた解説板があったはずだ、と思っていたのだが、別院のパンフ情報だったのかも知れない。
鶴来別院
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これも、2010年のブログでは
浄養寺石塔群。
文明2年(1470)、同3、同5年などの銘のある五輪、
人名を刻んだ宝篋印塔などがある。
と記している。
読めそうにない。
となれば、『鶴来町史』情報だろうか?


調べると
鶴来町史』(平成元年刊)歴史篇の356ページに「浄養寺墓地」が載る。
ただの石にしか見えなかった高さ80?ほどの石も、五輪陽刻塔である旨が367ページに記されていた。


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鳥越城
…合掌
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そう何度も来ているわけではないが、
このレリーフは初めて見たような気がする。
この手は苦手なので、見て見ぬ振りを決め込もうとつい解説を目をやると、
原一男氏(1916年6月2日 - 2006年8月19日)の字とある。
いろいろ見解の相違などを聞いた人だったので、字は撮っておこうと思った。
一揆破れて山河あり」とある。

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