網野善彦・小沢昭一氏など座談ー大金持ちの水呑み百姓、『蓮如と真宗行事』ー

昨年暮れに日本宗教民俗学会の諸氏が、当地を訪れた。
その時の講義の一コマに、能登を訪ねた人々(研究者)と題して、
当寺でお話しした。
その時のために資料を見直していて、出会ったのが『月刊百科』だった。
懐かしい網野さんと小沢昭一氏の対談が載っている、しかも私も関わった歴史と芸能制作に関するご苦労話のようだ、と読み進めると、なんと、
私の著書が話題に上がっているではないか…。
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座談PDF


小沢昭一、『大系 日本歴史と芸能』第5巻・踊る人々ー民衆宗教の展開ー

12月10日(月)の小沢昭一氏逝去を受けて、
2012年平成24年12月30日(日)のブログに思い出話を書いた。
以下がその文である。

もちろん、(小沢昭一さんは)直接存じ上げる方ではなかったが、
一度、門前満覚寺説教大会の折、
間近でご尊顔を拝したことがある。
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『大系 日本歴史と芸能』第五巻踊る人々・目次(PDF)平凡社刊)
このシリーズの編集委員網野善彦、大隈和雄、小沢昭一服部幸雄宮田登山路興造氏たちで、全14巻が1990年頃に刊行された。
映像はVHSで日本ビクターが制作した。
節談説教と小沢氏の関係は深く、『また又「日本の放浪芸」』で、
川岸不退氏などの説教を紹介され、自らも「説教板敷山」を演じておられる。

私が、第5巻で「節談説教の風土」を書き、
内容の一部(PDF)
それを読んだ伊東乾氏が『笑う親鸞』部分、河出書房新社(PDF)
「西山先生は、真宗大谷派の僧であると同時に、小沢昭一網野善彦といった人々の協力者として長く仏教民俗史家の活動もしてこられた。」
と書いておられるのも不思議ではない。
ところが、先に書いたように、間近でご尊顔を拝した一度の一方的な出会いがあっただけである。
となると、どうして私が、「踊る人々」に節談説教について書くことになったのだろうか…?
この本には、ある劇的な思い出がある。

編集者の内山直三さん、網野先生もすでになくなり、節談と深く関わってこられた小沢氏もこの世を去った。

記憶違いもあると思うが、
このシリーズに節談説教が入ったいきさつについて、記しておきたい。

時国家文書との関わりで、能登にズーと来ておいでた網野先生が、
どうしてもこの企画に節談説教を取り上げたいと望まれ、
原稿はS氏(記憶違いだとなんなんで、イニシアルにした)に頼むように言われたが、
S氏が、西山の方が(能登にいることもあり)ふさわしいと推薦し、
私が書くことになった、と判断している。
ということで、門前で小沢氏と同室になりながら、平凡社の本を思い浮かべることはなく、遠くのスターが近くにおいでる、ぐらいにしか思っていなかった(以下略)。

見直さなければ

この冊子には、小沢氏と出会う前の話が載っており、
s氏と網野・小沢氏の接点もみつからない。
対談では、節談を取り上げる為に、翌年の説教大会(6月11日)に録画を撮りにいくような話しや、小沢氏が説教大会に出向きますと話しておられるのである。
私が小沢氏を見た時ー、
この人、雰囲気が芸能人のようだなァ、
あの小沢昭一ではないだろうか
間違いない、小沢昭一だ…。
と、思いながら、お寺が用意してくれたカレーを食べていたのだ。
そして、どこか知り合いでもあるかのような視線の交錯が
一瞬あったのだ。


今、この冊子を見て、あの時の状況の説明がつく。
いただいた時に読んでいれば、月刊平凡で網野さんが話題にして下さった「西山」です、と名乗り、
ヒョッとしたら、言葉を交わすことがあったかも知れなかい。


あの頃は、今よりはるかにいろんな事をやっていた。
表紙とタイトルだけを見て、そのうちとしまっていたのだろう。


27年後に、網野さんが本(『蓮如真宗行事』1990年8月10日刊)が出てすぐ話題にしていて下さったことを、あらためて知った。

そういえば、北國新聞社が書評を載せてあげるというので、真野俊和さんに依頼して書いてもらった。
その記事を探すと、1990年9月24日付で載っている。
そうだったのだなぁ、と感心しながら読む。

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この時のことを、仲のよかった記者さんが書いてくれていた。


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多分、ちゃんと読まないでしまっていた忙しさには、このような世界もあった。
その年、男子ソフトテニス部の監督ー生徒以上に練習したーだった。
鳥毛ペアは3年生、東崎・稲谷は1年生、
全国中学生大会で優勝したメンバーが他にも数人おり、
これから黄金時代を迎えようか…、という時でもあった。

翌年、春、
私は、教職を辞し、住職になった。


それから28年、真宗研究はどうなっているのだ、
ちゃんと整理しておけよ、
もう一人の自分の声が聞こえる。