2016年(平成28年)7月24日(日) 雑感ー虚子の南無阿弥陀ー

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朝、タブの落ち葉を掃きに出たら、空が綺麗だった。
6時ちょうど。


下書きで書いていたこと…。
7月6日(水)
夜の風で、タブの葉が一面に広がっている。
道路を掃き終え、大庭の落ち葉をつまつまと掃き集めていると、耳の後ろに触れるものがある。
蜂?アブ?どうも違うようだ
いつの間にか、赤とんぼが舞っている。
どうも、汗を慕って集まってきたかのように、側へ寄っては離れていく。

今日7日は、トンビが盛んに鳴いている。
どうも巣立ちのようだ。
刻々と秋は来ぬ、の印象。
祠堂経も4日目。
7日七夕は、宇出津のあばれ祭りだったが今は7日には行われていない。
新暦の夏の7日。新年の7日年越しと対応する重要な日、宇出津のキリコがなくなれば、何があるのだろう。


改造社現代日本文学全集が、臥龍文庫ー臥龍山西勝寺なので、臥龍文庫。
子供の頃、何のことかわからずに、本を開いていたーにある。
整理した。
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以上7日。


以下24日
トンビの鳴き声は親が子に教えているようだった、繰り返し繰り返し鳴き声が続いていた。
現代日本文学全集の中に、『伊藤左千夫集 長塚節集 高濱虚子集』があり、虚子の「花鳥諷詠」観の重要なきっかけになったという出来事が記されている「落ち葉降る下にて」(大正4年12月作)がそこにあった。
多分父が若き頃に購入した本であろう、「明易や 花鳥諷詠 南無阿弥陀」がより親しみを持って頷かれる。

ここに重要な一点がある。「南無阿弥陀仏」ではなく「南無阿弥陀」である点。
これは、下書きでは南無阿弥陀仏と書いていた。
虚子の弟子が、「南無阿弥陀」なのだということを、強く虚子からいわれていたとのことで、その人から新聞社の担当が聞かされていたとのこと。何度か文をやりとりしている中で、はっきりしてきたことで、
意味もわからずに「黄泉」と書いても、誰も注意しない某世界と、一字一句おろそかにしない世界との差は広がる一方だ。

千代は原稿を書いた。一茶は下書きデーターを作った。
虚子をこれから調べたい。

その前に、戸坂潤、三木清、西田幾多郞の晩年ー戸坂、三木は獄死だから晩年はおかしいかも知れないが、
ともあれ、彼らの晩年における宗教観を見たい。
いずれも、真宗、仏教を知り、整理しようとなさっていたのである。


今日は、
取りあえず、戸坂の本を求めたり、京大時代に先輩である戸坂をどうとらえておいでたかを聞いたり、戸坂潤関係者のところを回った。
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