水と信仰ー能登川(滋賀県)へー6月10日、11日

昭和46年12月21日。後輩の相馬信行君がガンで世を去った。
ドンヨリとした寒い日。葬儀の後、彼の亡骸を、集落の土葬地へ野辺送りをした。
そのことも含め、昭和54年に「水と信仰」(コミュニティジャーナル「いしかわ」7月号)を書いた。
この文によって、某誌の記者さんと知り合いになり、今もつきあいが続いている。
時折、相馬君を思い出しては、あの埋められていった地はどうなっているのだろう、と考えることがあった。
今年の宗教民俗学会が6月11日に京都で開かれるのを機に、訪ねてみることにした。
学会の方は、家で用事が出来、参加できなかったが、相馬君の想い出はたどることが出来た。
「水と信仰」2-1
「水と信仰」2-2

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土葬地だったところ。あの頃一基だけお墓があった。
この一角に埋めていくと、ほぼ33年くらいで、一周して元地に埋めることになる、と聞いた。
そして、2、3年経つとお棺が腐り、土が沈むのだとも話してくれていた。

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彼の地は洪水で流れたことがあり、新たな地に墓地が設けられた。
火葬地帯の墓地になっている。
45年の歳月を想う。

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最初駅前のホテルに荷物を預け、お寺の名を言って調べてもらった。
お手と同名の地名があるとは知らず、調べてくれたのが目的地とは反対方向にある地名の場だった。
そんなことはわからないから、思っていたよりも遠いと感じだし、
昭和46年は多くの友たちと野辺送りをしたので、それほど遠くは感じなかったのだろうか、とか、
体型が変わりすぎて、遠く感じるのだろうかと思いながら、暑い中を能登川高校を過ぎ、東海道線沿線に沿ってひたすら歩く。
ようやく着いたところが地名の安楽寺天台寺院だった。
あとでわかったのだが、目的地とは反対の方向に向かっていたことになる。
しかし、さすがに滋賀。
見所がぽつぽつとある。
まず、地蔵群

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伊庭御殿遺跡
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名がいい。望湖神社。
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安楽寺
ここで引き返す。
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能登川駅
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このブログ記事を書いたのを機に、相馬君の遺稿集「小さき鮎の歌」を取り出して見た。
あらためて、すごい文が並んでいる。
相馬君は言うに及ばず、同世代だろう吉村しをりさんという人の文など、「すっげぇきれるじゃん(ついていけんぞ)」と思いながら読んだ。
そして、彼と病院で合わせてくれた人物がいるはずなのだが、母親の思い出の記に出てくる、武藤さん(武藤紹生)という人が、その人だったはずだ、とぼやーと思い出しつつある。
10日は、能登川高校の横を通りながら、彼はここを卒業したのだ、と感慨に浸りながら歩いたのだけれど、経歴では彦根東高校卒業になっている。
前日、彦根東高校付近を歩いたぞ。
彦根東の名に感じていた懐かしさは、「小さき鮎の歌」の記憶があったためだったのだろうか…。