板碑のある風景-宝篋印塔陽刻板碑ー旧中島町

19日の夕方、知人の家を訪ねたとき、
かつて、近くで板碑を見たことを思いだした。もう日暮に近く、宝篋印塔の笠部を2つ見つけ間違いなかった、と思いつつ石龕を覗くと、綺麗な宝篋印塔陽刻板碑があった。隣に五輪陽刻?板碑もあった。
夕刻でいい写真にはならなかったが、町史に載っているだろうと中島町史を調べるとこの板碑は載っておらず、
似た板碑の拓本が紹介されていた。
拓本である理由が、なんと「さきの町史で五輪塔陽刻板碑と宝篋印塔陽刻板碑が紹介されているが、今次の調査では確認できなかった。町内では類例の少ないものであるので」、拓影と当時の計測値を載せておく、とある。
下の拓影である。
ということは、この板碑は新資料である。
大日梵字・バーンが刻まれており、台部の四角枠も同型である。
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石川県考古学会会長と知人宅にその旨を連絡しておいた。
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中島は石造遺物(現在信仰されているものも含む)の多い地帯である。地蔵さんだというのでお堂を開けてみると板碑であることがままあり、
町史の折に民間信仰として調べた多くの地蔵から広がった調査の新聞記事及び調査地蔵一覧が、次である。
地蔵街道
地蔵一覧
後にこの久四郎型地蔵は、富来の生神にもあることが分かった。


町史には、五輪塔・宝篋印塔・板碑一覧表が載っており、私の調査結果も含むと書いてある。このことも初めて知った。(『中島町史 資料編上巻』p552、平成7年刊)ーこのことは、忘れていただけかも知れない。