飯田燈籠山祭り前

19日は、寄付者の家へのお披露目。小字町内を山車が回る。
台風11号の影響で、準備が少し遅れたようだが、例年とそう違わない時間に回ってきた。
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私の部屋の数メートル横を山車が通る。
その部屋のあるところは、昔の防火用水池があったところで、屋台の車が水に漬けられていた。
それを引き上げるところから、屋台の組み立て準備が始まった。
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囃子方、特に笛方が増え、祇園囃子は一時期に比べ格段に上手になった。

囃子方は台座に入ったり、欄干の上で囃したものだが…前にも男性の笛方がいる。
ただ、細かい間の囃子などで、復活すればいいと思えるものもある…。
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欄干の角に巻き付く「龍」など、山車は豪華になっている。
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山門(はないが)、本堂前を通る山車。
よく見ると、上部に若衆が一人乗っている。
ケーブルなどに仕えそうになるのを、押しやる役目で、気づきにくいところにお世話がある。
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若者が屋根に上がっていた状況を知るため、朝その場に行ってみた。
毎朝、椨の葉を掃いていて気づかなかったが、ケーブルが道の方にかなり出ている。
椨の枝は、何年かごとに切り払っている。ここにも気づくことの少ない、気配りがある。


祭礼は、春日神社ー藤原氏、若山庄関係の神社。
20日エビスの大漁祈願、豊穣、お涼み(納涼祭)、本来の榊御輿が大町の御旅所に夜を過ごすのを復活した(となると山車が通れなくなる)
漁業の吾妻町の山車が海に入って曳くのを何度か見たが、今回配られた解説書では橋を渡らず河口を渡ったと書いてある。かなり大きな船が若山川を遡っており、浅くなったのはそれほど古いことではない。そして、
私は、えびすの日に、大漁祈願に海を曳いたものと理解しており、吾妻の浜から再びあがって、町を巡行したと記憶しているのだが、今町浜(現在の港町)まで曳いたことがあったのかも知れない。
何よりも台座作りの時の山から藤づるを切ってくることによって、里山の荒れるのを防いでいた、晴れの日といえども、というか、晴れの日だからこそ、日常の積み重ねがあちこちに見える、区切りなのだが…。