松山行16、17日一遍生誕地、伊予国風土記、子規…ー。グリークラブ(男声合唱団)OBー松山懇親会ー

県内では久しく聞かない言葉にグリーというのがある。
グリークラブ略してグリーは、最初の音取りだけで、無伴奏合唱を言う言葉のようだが、
グリーといえば、だいたい男声合唱団を言う。
学生時代、しばらくこのグリークラブに入っていた。
どちらかというと、一人で歌うか、せいぜい二人のハーモニーまでで、四部合唱は格調高すぎて合わなかったのだが、数年続けた。
根本に住職となったとき、声明用に声を鍛えておかなければ、の思いがあった。
そのグリークラブ静大グリークラブOB会)から案内が届いて、
48年ぶりに、グリーの曲を聞きに、四国は松山まで行ってきた。


四国は初めてで、予備知識なしに言ったのだが、
それでも道後温泉は、『伊予国風土記逸文』に少彦名命がはじめて温泉を見つけ、薬師と結びつくようなる原点であることは知っている。
知っているどころか、講義のいろんなところで使わせていただいている。
それに、千代尼を今書いているので、子規に挨拶をの気分も加えての松山行きだった。


海を渡る、合唱、子規、少彦名、これだけでも許容を越えているのに、
行ってみて驚いたのは、一遍上人の出生地のお寺があることだった。

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ルートは金沢が新幹線ブームでホテルが取れず、小松泊。
7時過ぎのサンダーバード、小松~新大阪。新幹線、新大阪~岡山。しおかぜ7号、岡山~松山。
姫路城。新幹線車中から。トリミングで大きくした写真。
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「しおかぜ」7号車中から。
瀬戸内海を越える。
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松山駅前。
電車には「古本屋で買った本(本の絵)に誰かの栞がはさまっていた」などの気の利いた言葉が書いてある。
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城山公園堀之内。
白鳥。
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松山城。三の丸など。
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二種類の電車。花電車のようなものなど4種類の市電に会った。
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「寝ころんで 蝶泊まらせる 外湯哉 小林一茶
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「ふゆ枯や鏡にうつる雲の影 正岡子規
 半鐘と並んで高き冬木哉 夏目漱石
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松山市立子規記念博物館
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グリークラブ
年配者ばかりだが、月に二回は練習を重ねているというだけあって、すばらしい歌声。

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会が持たれたにぎたつ会館からの朝景色。
朝5時50分

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伊佐爾波神社。にぎたつ会館すぐそば。
急坂を上がると、左にお百度石などがある。
この写真は前日16日撮影
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伊佐爾波神社本殿、附透塀、申殿及び廊下、楼門、廻廊などが重要文化財(建造物)。昭和32年、昭和42年指定。


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案内板「一遍上人の誕生地 愛媛県指定記念物(史跡)
昭和24年9月17日指定
宝厳寺は一遍誕生の地といわれ、寺伝によると、天智天皇7(668)年斉明上皇の勅願で、国司越智宿祢守興が創建、当初は法相宗に属し、その後天台宗に転じた。後、時宗が隆盛し弟子の仙阿ここに住むようになって、正応5
(1292)年寺は再建され時宗に改めたとある。
時宗の開祖一遍は、河野通広の第二子として延応元(1239)年に生まれた。幼くして僧門に入り、文永11(1274)年時宗を開き、翌年熊野の地で神勅を受けて「南無阿弥陀仏」と記した賦算を始めた。弘安2(1279)年には信濃国佐久郡で念仏踊りを始めた。その後、正応2(1289)年神戸真光寺で死すまで全国各地を念仏遊行し、一所不在、捨聖(すてひじり)、遊行上人と尊崇された。
一遍上人御誕生旧跡」の碑は、河野一族の得能通綱が建立したと伝えられている。
松山市教育委員会
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山門。
ここには、木造一遍上人立像ー像高113.9㌢、文明7年(1475)作ーがあり明治39年3月27日重要文化財に指定されていたが、2013年8月10日に本堂・庫裏と共に火災のため焼失。2014年8月21日付けで指定解除された。指定していた旨の案内板が残っていた。
山門が古い寺院の様子を物語っている。
二度、訪ねた。
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案内板「湯神社
祭神は、道後温泉を開いた大己貴命少彦名命の二神である。
 当社は、延喜式内社で、社伝によれば、景行天皇が皇后八坂入姫と共に行幸の際に鷺谷の大禅寺の前に創建したと伝えられている。その後舒明天皇行幸に際し勅命により社伝を新築した。
その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられている。
大永七(1527)年の地震で温泉が埋没した際に、須佐之男命と稲田姫命を祀る延喜式内社出雲崗神社境内(現在の冠山)に移され、いつしか合祀して四社大明神と呼ばれるようになったという。
湯神社では、地震などで温泉が止まるたびに、神楽を奉納して祈願してきた。宝永4(1707)年の地震では藩主の名で「湯祈祷」が行われ、以後中断しつつも今日まで続けられており、正月の初子の神事とともに世に知られている。
松山市教育委員会
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道後温泉本館
入浴だけなら410円で出来る。
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帰りの電車ーしおかぜ号からの四国~本州。