「汐越の松」の和歌ー作者・蓮如上人説

奥の細道
「越前の境、吉崎の入江を舟に棹(さをさ)して、汐越(しほこし)の松を尋ぬ。
  終宵(よもすがら)嵐に波をはこばせて
     月を垂(た)れたる汐越(しほごし)の松 西行
此の一首にて数景(すうけい)尽きたり。若し一辨(べん)を加ふるものは、無用(むよう)の指(し)を立つるがごとし。」
のこの文に載る歌は、『西行全歌集』(岩波文庫)にはない。

気になるので、いろいろ見てみると
吉崎に関係の深い蓮如上人作説があった。
この当時は、西行の歌とされていた(それで芭蕉は、西行と書いた)。
というのもある。


福井県史』通史編3近世一(平成六・一九九四年刊)には、
「実際は蓮如の和歌であるにもかかわらず、芭蕉は誤って西行の歌として記している。芭蕉はこの和歌で景色の妙を言い尽くしているとして、当地においてはあえて句をものすることはなかった。」
と、蓮如上人作としている。

もちろんというべきか、蓮如上人の和歌を集成した『蓮如上人遺文』(稲葉昌丸編、法藏館刊)、『真宗史料集成第二巻』(同朋舎出版刊)などには載っておらず、蓮如上人の歌が西行の歌として「奥の細道」に載っているとなれば、
大きな話題になったことだろう。
一向一揆500年前から蓮如上人を調べていてが、そんなことはなかったように記憶している。


吉崎界隈では、蓮如上人作として語られているのだろうか?
たぶん膨大な研究があるであろう『奥の細道』関係からは、どうなっているのだろうか?


興味が尽きない?
気になる?
どちらかというと、後者。

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鹿島の森からの吉崎御坊 今年8月31日撮影

[追記]
本を見に行ったら、芭蕉の本があった。
『鑑賞日本古典文学第28巻 芭蕉角川書店刊、井本農一編である。
この歌のところを見た。
西行芭蕉の誤聞。蓮如上人の作。」とだけある。
福井関係の蓮如上人伝承の本を数冊見た。
もちろん載っていない。伝上人作いろはうたにも無い。
吉崎の近くなので、汐越しに触れた文もあったが、西行の歌がある。と書いている。
芭蕉が書いたのだから、一般には「西行」ということになっているのだろうし、研究者は西行にないので、不詳にしとけばいいのに
蓮如上人の作」にしている。
伝でもあれば気にならないのに…。