親鸞聖人七百五十回忌
親鸞聖人七百五十回忌が、末寺でも厳修され始めた。
昨日、聖人のご命日に営まれた御遠忌に参加した。
(北陸中日新聞29日朝刊)
御門徒宅申経 式次第
先 着 座
次 総 礼
次 伽 陀 先請弥陀
次 御 経 仏説阿弥陀経 音木有之
短念仏 五遍
三重念仏 淘三
和 讃 十方微塵世界ノ
添 万行ノ
次 回 向 願以此功徳
次 総 礼
次 復 座
願 主 御挨拶
結願日中
庭儀参堂列有之
刻 限 於 御門徒宅
衆憎着座
庭 儀
先 楽僧発楽
次 衆僧迎儀
刻 限 諸列入堂
御本山祝詞 能登教区第十組々長殿
次 着座楽
次 出 仕 下﨟出仕
次 総 礼
次 伽 陀 稽首天人
次 登高座楽
登高座
次 表 白
次 伽 陀 先請弥陀 附 物
下高座
次 登高座楽
登高座
次 御 経 仏説無量寿経(抄)音木有之
次 伽 陀 万行倶廻 附 物
下高座
次 賦華籠楽兼登高座楽
次 登高座
次 漠音阿弥陀経
行道散華
次 撒華籠楽兼下高座楽
下高座
次 伽 陀 若聞此法
次 総 礼
次 願生偶
念仏讃 淘 八 三重念仏 附 物
和 讃 三朝浄土ノ大師等 次第三首
二重淘据 三重申詰繰上
次 回 向 願以此功徳 附 物
次 総 礼
次 退出楽
退出 下膓退出
これが式次第で、式支配役は粛々と次第を読み上げていく。
難解な用語が並ぶが、出仕僧は、聞いて理解し、日中法要が営まれるのである。
諸役は16名を数える。
稚児行列を伴う大法要では、童子が大きな役割を担う。
この童子役に、従弟の子がなっていた。
色んな条件ー年頃、法要が営まれるなどーが揃わないと童子役になることはない。
カメラに収めておきたかったが、こちらは写されることがあっても、カメラを持つ間(ま)は全くない。
昭和26年4月の童子
童子が写真に撮られているのを見ていたら、自分が童子になって写っている写真があることを思い出した。
(石休場町、照福寺にて)
帰って確かめてみると、母の実家で行われた蓮如上人450回忌で童子役をしていた。
昭和26年4月、私が4歳2ヶ月。
63年5ヶ月前のことだ
かすかに、髪(かつら?)に抵抗を感じたことが記憶にあるが、あとは覚えていない。
その頃は、丸い顔をしていた(ようだ)。
地域性
○能登教区第10組には、約40ヶ寺の真宗寺院がある。多いのでエリア招待であったり、当日参加できない僧がいたとしても相当数だし、それに親戚寺院も多いとなると、8人の出仕では、招待寺院に申し訳ないことになる。
それで、式次第(差定)では、「行道散華」のところで出仕者が入れ替わる。
16人出仕ということになる。先の出仕僧を前詰(ぜんづめ)、後半を御詰(ごづめ)といっているが、他地区では見られない風習らしい。
○(ついでに)新潟県三条で精進とベンとお話ししたら、ベンが分からなかった。この前、12組(旧鳥屋町、鹿島町、鹿西町、羽咋市の一部など)門徒会で、地域性がありますね、ベンが使われていないところがある、と話したら、皆、聞いたことがないとおっしゃる。
12組隣の七尾の僧が来ておいでたので、能登の中でも…、というと知っているし、よく使うとおっしゃる。地域プラスお寺用語の性格が強いのかも知れない。
○そこで話題になったこと。
問うて曰く。本山からいただいた法名を、オタクミと言っているが?
応えて曰く。「御書様」に、私たちの分け方だけど、12代宣如上人あたりまでの懇志御書、それ以降の御文(おふみ)御書、オタクミ(御巧み)御書があるので、それと関係あるのではないか…。