灯籠山、花火ー昔の灯籠山ー20日
通りは本堂裏通り(灯籠山通り)。道路を作る際の発掘の折、このあたりからかなりの珠洲焼が発掘された。
花火は本堂から見た花火。
飯田の山車は、キャーラゲ、祇園囃子がいい。
多くの山車祭りの中でも出色の囃子だ。
私が好きなのは、山車の休憩中のリズムを欄干部に乗っている子供たちが、ヨーイヨーイと合いを入れる
曲なのだが、最近あまり聞かなくなった(というか、山車について歩くことがなくなった。)。
笛方は昔は欄干上で吹いていたと思うが、今は、何人もいて、写真のように出しの横を歩きながら吹いている。これらを総合すると、県文化財レベルの山車巡行だと思う。
花火
昔の灯籠山
○南町の燈籠山。燈籠山の写真は何点か残っているが、年号がはっきりしているのは珍しい。この通りは馬場通りとか春日通りと呼ばれており、馬を走らせた痕跡のある広くまっすぐした通りで、しかも電線が横切っていないため燈籠山を曳くことが出来た。右手の大きな建物は草山歯科医院、その奥が森下旅館である。〈珠洲市・昭和11年〉『写真アルバム 能登半島の昭和』所収
○
飯田の燈籠山。7月20日、21日、飯田春日神社の祭礼の際、祇園囃子・キャーラゲに合わせて曳く。台部を蔓で固く締め上げ、車輪は池あるいは用水に漬けておき、人形造りなど、多くの人手と日数をかけ山車(やま)を作った。電線が付いてからは燈籠部は取り外された。
左奥の建物は当時吾妻町にあった旧制飯田中学校体育館と見られる。
〈珠洲市・昭和10年代〉
この写真と解説は、アルバムに載る予定はなかったのに、何点か解説を付けたものの一つ。
貴重な写真とキャプションなので、取り上げた。
コノハヅクの子
花火の後は、木の葉ヅクの子供が落ちていないか?
見に行くことが慣習になっている。
前に見つけたのは、ほぼ10年前のことだ。
コノハズク2005年頃
現在のその場所
洞(ウロ)のあるタブの木
このタブ
急に存在感を増したらしく、今まで何度も見ているはずの方々から、
あんな大きな木がありましたか?とか、
あの木は何の木ですか?
と聞かれることが
このところしばしばある。