写真アルバム『能登半島の昭和』

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PDF:写真アルバム能登半島の昭和・パンフ
19日(土)、担当の方が写真がほぼ集まった、と持ってこられた。
締め切りが7月上旬。
一刻の猶予もない。


能登には旧19市町村がある。少なくともそれぞれに1名ずつ。
しかも、年配の方々でも、校下が違えばもう分からない、とおっしゃる。
それだけ、谷や山あいごと、港ごとに地域、文化がくっきりしていたところなのだ。
私自身、春日中学校で珠洲弁を覚え、高校では中学校ごとに友だちの呼び方などが違うことに驚いた経験があるので
キャプションを付ける大変さはよくわかる。
昨日23日まで執筆予定者、新たな執筆者捜しなどで、飛び回った。


まぁ…、
いつものごとく…
誰かがやらなくてはならないのだったら
能登の昭和の写真を活字とともに残す
そのことに手伝いますか…だ。


なのだが、高山、京都引率などの資料作り
それに、もう一つ大事な継続仕事がある。


午前、午後、夜に分けて仕事をしようかとも思っているのだが
そんなに器用でもないことは、分かりすぎるほど分かっているので…