第34回飯田高校卒業生同窓会

f:id:umiyamabusi:20131203132528j:image
34回卒業生。担任していた3年C組
1982年・昭和57年3月。
f:id:umiyamabusi:20131203132524j:image
この学年の1年生時代。年度末、お別れ会頃の1年A組。


11月30日(土)和倉温泉で、34回卒業生が50歳を迎えるのを記念して同窓会が行われた。
この時期、特に土・日は忙しいので、宴会だけ顔を出すことにしていた。
午後4時に珠洲を発ち、連れ合いには3時間ほどどこかで時を過ごしてもらい、帰るという段取り。
5年前と違って、今度は最初から参加できたので、教え子たちとかなり話が出来た。


初めての参加だと、32年ぶりになる。
幹事諸君は、高校時代の写真と名の2種類の吊り名札を用意していた。
f:id:umiyamabusi:20131203155133j:image
私も、このような写真と名札を胸に下げた。
35歳の時である。結果的に、これが最後の3年担任となった。


この顔が、こうなっているのだから(数日前に撮った写真)
f:id:umiyamabusi:20140220213353j:image

わからん、よなぁ…
当時の写真を用意した幹事の頭の柔らかさ、その他も含め周到な準備に感心した。


55名の参加、かなり遠方から多くが参加しており、
担任5人の中で、参加したのは私一人。


「センセー」と呼ぶ声は、すべて自分への声で、しかも、呼ぶかけるのは、50歳の男女たち…。
多くが、今も教員してるのだと思っていた、というし、そう呼ばれるのが普通なのだろうが、
20数年、忘れていた世界が、
一気に蘇り、いまも、遠くで「センセー」の声が耳の奥に響いている。


5年前には、クラブは野球部と郷土史を持っていた、と書いたのだが
新聞部の生徒でした、と現在教員になっている北角尚子(旧姓)さんがいうので、
そうだった、あの頃は新聞部の顧問だった、と気づいた。
帰ってから2年生の時の新聞部部長・兼政惠美子さんの名を見て、様々な記憶が蘇ってきた。
f:id:umiyamabusi:20131203160242j:image


「センセー俺、生徒会長やったが忘れとった」といった北沢達成君…そこには確かに30年余の年月はあったが…
それでも、その時期全力をそそいでいたはずの教師として、
顧問をしていたクラブを間違えてはならないだろう。


そのうち、
宮下和芳君のお店へ食べに行ったり、
木下道子(旧姓)さんのお菓子屋さんへ買いに行かなくては…と
昔の担任は、張り切っている。
飯田高校100周年