この人に聞くー朝日新聞石川版ー

今朝、紹介された。
記事をお書きになった藤井さんは、7月26日に取材にこられたのだが、
文化・民俗に対する造詣が深く、質問も的を得ておられ、話しがはずみ、3時間ばかり時を共有した。
さすがに
綺麗にまとめられている。
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取材日

前日の25日、富山県猪谷、井波、城端、用宗に日帰りで行ってきた。
朝は、毎日5時半頃から道路に散ったタブの葉の掃き掃除をしている。
その後、境内で行われている小学生たちのラジオ体操に混じり…
暑さ、しゃべり疲れ…。

真宗の住職が「祭り」を語る意味

慶応4年(1868)の「神仏判然令(分離令)」、幾度かの戦争を経て、神々の世界と真宗教義にとの間には、より齟齬をきたした部分がすくなからずあるが、
私たちの周にある神々・神社は、
『諸神本懐集』(元亨4年・1324存覚上人著、伝法然上人著)に記されている権現(垂迹神)を祀る権社であって、権社としての神社が寺院近く、あるいは同じ集落内に存在する。
『御伝鈔(親鸞聖人伝絵)に登場する箱根権現、熊野権現はその当時の代表例で、
その世界から「祭り」を見ると、根底に「報謝」があり、そして願いがあることに気づかされる。
17願(説我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚)からも、神々との関係が考えられるだろう。「咨嗟」は褒め称えること。