巨鯨魚介類追悼供養と、塩田資料、【6月第一土曜】【珠洲市】
毎年6月第一土曜には、馬緤町鰐崎にある巨鯨魚介碑前で、法要が営まれる。
碑が出来たのが、昭和63年のことで、今年は24年目にあたるという。
馬緤に門徒、檀家がある寺院は、6ヶ寺なので、4回ずつお参りしていることになるのだという。
見渡す限り、馬緤地内、その奥の山の中腹に西部中学校が見える。
坂下喜久次さんが、学校のところが大谷城跡ですよ、と、家に来られたのがついこの前のように思える。
確かに城があそこにあれば、広い範囲が見渡せる。
手前が塩浜跡。
海の塩濃度も濃く、塩汲みにも最高の地だ。
ここに塩田が復活されれば、いいところになるのになぁ、と思いながら
一つの村では、もっとも多くの御塩蔵があった、
馬緤の昔を思った。
安政3年(1856)の「調理冊子」によれば、馬緤には、8つもの御塩蔵があった。次に多いのは3蔵であるから、馬緤が図抜けている。
碑
塩田資料
砂取船。
木造船がこれほど綺麗に残っているのは珍しい。
喜兵衛どんにあるのは、だいぶ痛んでおり、大きさもこれより小さい。
ということは、唯一の舟。
塩田道具も、保存状態がいい。
砂取り節を歌った3句碑、角川源義、沢木欣一、大野林火。
高橋掬太郎書の「砂取節歌碑」
それに舟、用具。
里山・里海の珠洲としては、
これはもう、一括指定だろう。