予餞会

今年の10月21日に飯田高校100周年式典が挙行される。


私たちの学年が100周年の担当学年とのことで、
2007年、5年前の7月に事務局長と会長が決まり、8月に委員を選んだ。
私たちの学年は、普通科3クラス、商業科2クラス、農業科1クラス、それに定時制があった。定時制の同級生は、商業科を母体に新たに作られた珠洲実業高校の卒業生となるなど、いわゆる団塊世代の混乱期の生徒だったのだが、
できるだけ、科や地域バランスを考えての委員会にすべく、隣の町から浜野孝則君に入ってもらった。
科が違うと、まず話す機会がない。
浜野君は、高校時代スカーッと格好良くて目立っており、お子さんを教えたことがあるという理由だけで加わってもらった。


何が格好良かった、といって、1年生の時の予餞会で歌った
「みんな名もなく貧しいけれど」が抜群だった。
受験の妨げになるとの理由で、私たちが3年生の時には予餞会は廃止になったものの、1年と2年の時で24クラス分の出し物を見ているはずだ。
なのに、覚えているのは2つのシーンしかない。
その1つが、彼の歌った三田明の歌だったのだ。
確かあの時、彼が歌い出すと同時に、体育館が一瞬静寂に包まれ、拍手・アンコールの声に包まれたのだった。


メンバーが決まってからの5年。
私たち世代にとっては、5年は、かなり長く、
幹事長は、今、町内連合会長の要職にあって飛び回っているし、
会長を引き受けた私は、長年続けてきたノックやテニスの後遺症で、膝の痛みと外反母趾で、
健康のために歩くどころか、座った状態で、つい食べてばかり
…激太りしている。


浜野孝則君とは、実行委員会で、2、3度顔を合わし、
いつか、あの時の感動を話そうと思っていた。


一昨年から会議に出てこなくなった。
無理に入ってもらって、気を悪くしているのかと思い、
家を訪ねた。
ちょっと病気で、病院にいるのだけれど、わざわざ来てもらってゴメン…との電話が入った。
会議の案内を出すと、出席できないことを気に病んでも困るので、出さないでおくけど、
元気になったら、一緒にやろう、
わかった、と、話し合った。


今日、
彼を知っている友人と電話で話をしていて、彼に頼んでいるのだ…と話したとき、
浜野君は最近亡くなったのでは…という。


彼と親しい友に電話を入れた。
弔辞を読んだという。



すぐにお悔やみに駆けつけた。
お留守で、
仏間にはご遺骨と、格好いい、そのままの遺影が飾られていた。


1月16日に逝去なさっている。
うかつだった。


帰って
「みんな名もなく貧しいけれど」を聞いた。


風は今夜も冷たいけれど
星はやさしくささやきかける
昼は楽しく働く仲間
みんな名もなく貧しいけれど
学ぶ喜び知っている


可愛いフリージャー真白い花が
夜の教室やさしく飾る
僕ら今こそ小さいけれど
みんな大きく伸びゆく若木
明日の青空知っている


君を送っていつもの町を
飛ばす自転車ペダルも軽い
夢を持とうね明るい夢を
みんな名もなく貧しいけれど
生きる幸せ知っている
(作詞宮川哲夫、作曲吉田正


チャンチャラチャチャンチャ・チャラチャラチャン…
の伴奏が流れ出すと同時に
体育館舞台の左側で、学生服姿の浜野君が、
背筋を伸ばしてマイクを手にしているシーンを思い出し、


…涙が止まらなくなった。


しばらくして、
奥さんから、電話が入った。
彼には話すことがなかった、想い出を
奥さんに伝えた。


奇しくも、今日は、5・7日、
35日だった。