『蓮如の女性観と蓮能尼』『相馬移民と二宮尊徳』『愚禿鈔講義』『歎異抄講義』【知人】
『蓮如の女性観と蓮能尼 一化学徒が語る』美濃順亮氏著。
自照社出版刊。15日にいただく。
帯
「飢饉・戦乱にあえぐ民衆の心の救済を願い、
本願寺教団の再興を為した蓮如は、
宗教者としてどのように女性に向き合ったのかー。
花王(株)取締役を務めた著者が、
改革者・組織者としての蓮如と、その晩年を支え、
能登畠山家の出自ゆえの艱難に耐えて
共に遇法の喜びに生きた蓮能尼の生涯に迫る。」
タイトルにそって第一章から第四章。
第五章に「科学・技術と宗教の対話」
講演記録「いのち」と「生命」が載る。
著者の父君は季刊「能州史叢」を著された美濃晃順氏。
この方の幅広い業績は、もっと知られなければならない。
『相馬移民と二宮尊徳』太田浩史氏著
後書きに、
「2011年9月28日、相馬移民二百年門徒交換会を終えて
この書を原発事故被災地の土徳復興に捧ぐ」
とある。
それは、この南砺の門徒ら南相馬市で28日交流会 移民200年 復興支援へ絆(北日本新聞)の出来事を踏まえている。
南砺門徒移民を太田さんから教えていただいて、当然、加賀能登門徒はどうだったのだろうか、史料がないか?
それとなく気にかけていたところ、
偶然「柳田歴史ものがたり」p239に
中瀬精一氏がお書きになった「柳田にもあった走り移民」を見つけた。
〈相馬藩の移民策〉と〈加賀藩の走り移民の記録〉
について分析したもので
文化十年(1813)移民の内、
柳田村分についてのみ記しておいでる。
その時、
羽咋郡15
鹿島郡6
鳳至郡31
珠洲郡15
能美郡23
河北郡20
計122名が相馬へ走ったとも書いておいでるので、
県内の近世研究者何人かにあたってみた。
しかし、相馬に藩農民が移った出来事自体が知られていない。
それでは、と直接中瀬さんに聞きに行ったものの、かなり高齢でもあり、どこで史料を見たのか覚えていないとのこと。
これから…だ。
『宮城顗講述 歎異抄講義十二 最終号
意義篇 第十五章・第十六章』歎異抄講義刊行会
出版目録キャプション
本書は
「この身、この深き生を求めて」のテーマーのもと、1992年に始まり、今日まで、13年間にわたる講義録。折にふれて家族のこと、子育てのこと、仕事のこと、日々の生活のなかでおこるいろんな出来事を見すえるなかで、その歎異の精神を語る。
「あとがき」から
「…現代社会の諸問題を『歎異抄』に尋ねる…
三つの出来事が転換の時代を象徴するものでありました。
1つは1998年11月9日、ベルリンの壁崩壊…イデオロギーを原理とした国家の崩壊…オウム真理教による事件…
第2には2001年9月11日。文明間の衝突の根底に深く関わる宗教…
一方、日本の地方のいたるところに限界集落なるものがあらわれ、都市においては格差社会、無縁社会の中で人々は漂流…世俗社会の中での宗教の存在意義が問われている…
第3の出来事が、本年3月11日…近現代の文明総体を根底から問い直すことが求められている…。
いよいよ末法の世として思念された本願史観がリアリティーをもって現在している。」など。
刊行会事務局は
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℡088-686-4025