男鹿半島「能登山」の椿と能登半島の海士崎【羽咋】

能登

f:id:umiyamabusi:20110901224932j:image

男鹿半島男鹿市船川港椿
能登山.昭和61(1986)8月撮影。


昭和61(1986)年に「日本海における半島の民俗」(考古民俗叢書24『東北の民俗ー海と川と人』国府直一・高松敬吉編)を書いた。
書くことになったのは、編者の高松さんから日本民俗学会岡山年会か佐倉年会の折だったかに、執筆を依頼されたことによる。


何が書けるかイメージ作りをおこなった。
東北と聞いて、すぐ思い浮かべたのが男鹿である。
東北の半島、能登半島なまはげ、あまめはぎ…あたりが脳裡をよぎったはずだ。
男鹿は能登半島にあてはめるとどの程度の大きさ・人口になるのか?
調べてみると、ほぼ旧珠洲郡と同じだった。


夏期休暇中に男鹿へ行った。
バスを乗り継いで、数少ない男鹿の真宗寺院などを巡った。


椿というロマンチックなバス停に乗り合いバスが停まった時、道路脇にある小さな山の麓の案内板が目にとまった。
能登山」と書いてある。


すぐにバスから降りた。
反対側に座っていたら気づかずにそのまま次の目的地に向かっていたはずだから、本当に偶然だった。
看板に書いてある山のいわれを読み、土地の人に話を聞いた。


藪椿の北限地で、国指定になっている能登山の伝説は男鹿市HP(能登山の椿)のとおりなのだが、
その時の案内板には、恋人は「能登尼崎の漁師」と書いてあったはずだ。


海士崎

能登で尼崎と言えば、志賀町・富来久喜(ひさき)の海士崎しかない。
f:id:umiyamabusi:20110822102315j:image
志賀町海士崎道の4差路にある不動明王像。
f:id:umiyamabusi:20110822102311j:image
この海の彼方に男鹿がある。
f:id:umiyamabusi:20110822102307j:image
海士埼灯台


8月19日、遠い記憶をたどってきた。