祠堂経会前後~ふと気づいたことなど
祠堂経会
4日から10日の祠堂経会も終わった。
今度の御布教は諸岡敏師~6日
広瀬彰一師~10日
のお二方でいずれも当寺では初めてのご縁。
諸岡師は、私が今抱いていて語っている事を、
よりわかりやすく、系統立て、しかも身近な事例と結びつけて語っていかれた。
広瀬師は、ゆったりとした口調で、たとえも豊富で、しっかりしたお説教をなされる。
こういう方々が育ってくるところに、真宗が支えられている…
心強かった。
白衣・衣・五条姿なので、当然ドバーッと汗をかく、
そのあとほったらかしておくので、
おかしいと思いはじめる頃には、風邪気味。
『諸神本懐集』
ところで、余分にプリントし、ため込んであるプリントを整理していたら、『諸神本懐集』の活字版をプリントアウトしたものが出てきた。
この書は『真宗仮名聖教』にしかないものと思いこみ、
古書店に注文し、坊守会に実物をもっていって、これが原本…と、お見せしたのは最近のことだ。
ところが、いつの頃か活字本がある事を知っていて、それをコピーし、どこかで用いた事があったのだ。
原本を捜した。
『真宗史料集成第一巻 親鸞と初期教団』にあった。
二巻目(蓮如とその教団)以降に『諸神本懐集』が入っていないかを確かめ、見つからなかったのでー
古本を購入したのだった。
覚如上人のお子さんである存覚上人と、同じく多くの著書を著しなさった蓮如上人のお子さん実悟上人を混同したか、
第一巻は、聖人の直弟子あたりまでと勝手に判断したことによるダブリ。
恵心(僧都)・恵信(尼)
同じくかつて配布した資料に…。
「恵心尼」とプリントしたものがあった。
いうまでもなく、親鸞聖人の妻は「恵信尼」で、
恵心僧都源信の恵心ではないぞ、
七高僧第六僧・恵心僧都とは、
字が違うぞ…の自覚が足りず、
恵心尼と打ち込んでしまったものである。
あるとき、このことに気づいた。
口頭で間違っている旨をお伝えし、訂正したつもりでいるのだが、
冷や汗ものだ。
手塚と手捲ー実盛を討った手塚太郎
知り合いのご住職家に手捲姓の方がおいでる。
はじめてお会いしたとき、
なんのためらいもなく「てづか」と読むことができ
『平家物語』や謡曲「実盛」に出てくる斎藤実盛を討った源氏の武将・手捲太郎に由来するのだと思っていた。
「手捲」は、虫送りの実盛人形と共に、民俗学をやりはじめて比較的早い時期に知った名なのである。
ところが必要に迫られ、あらためて『平家物語』を見直すと、
すべて手塚になっている。
『日本架空伝承人物事典』、謡曲「実盛」、『加賀志徴上編』などを調べるのだが、どれも「手塚」で、「手捲」が出てこない。
『石川県姓氏歴史人物大辞典』にもないし、
白江勉さんの名著『名字のふるさとー石川県ー』上・下にも「手捲」は載っていないようだ。
漢和辞典で調べても「捲」をツカ・ヅカと読む例がない。
どうして、そう思い込んでいたのだろう。
出典が見つからないのなら…
なぜ「捲」が「ツカ」なのか思索を巡らすしかない、
そうこうするうちに、一つの考えに行き着いた。
キーは源氏・弓である。
魂迎会
1日、
今年も、藤井徳蓮寺・金剛さんのところで法話をさせていただいた。
お寺とならんで権社・住吉神社がある。
摂社の諏訪神社(たぶの木)では鎌打ち神事が行われる(はずだ)。
『鹿島町史』の年中行事はわたしの担当だったが、
調査した事も
書いた記憶もない。