奥能登の地震・津波ー享保・天保、その他古記録・伝承ー

最近の事だが、輪島にも津波が襲い、河原田川を4キロ波が押し寄せた…という記事が新聞に乗った。
研究者による新発見のように書いてあったので、今頃、と思っていたのだが
加賀藩史料などの基礎資料に目を通し、インターネット検索あたりまでやって
そこにひっかかって来ないと、新発見にする傾向があるようだ。


気象庁が出来て、たかだか100年、
古記録から地震記録を拾い上げようという試みがなされるようになった頃、
もう30年近く前の事になるが、私もそういう人たちと地域の史・資料を訪ねたことがあった。
そして、その成果を当時の高校生・郷土史研究会生徒たちと共有した。


時折、津波はなかったのかが話題になることがあり、
また、具体的に天保4年地震の記録が珠洲に残っていないのかを問われたので、
その時の文を紹介したい。
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調べたのは、昭和58(1983)年、28年前である。


私が高校3年生(昭和39年・1964)の国語の授業中、新潟沖地震(13時1分)で木造校舎が激しく揺れた。
それ以来、執筆時期まで地震はほとんど経験しておらず、
能登には地震がこない、と信じて疑わない頃、のんびりとまとめたものでもある。
「奥能登の地震」PDF(『すゞろものがたり』49号)。


これをまとめてから10年。
平成5年(1993)2月7日午後10時27分能登沖(珠洲沖)地震
さらに14年後の平成19年(2007)3月25日午前9時42分能登沖地震
同7月16日午前10時13分新潟県中越沖地震と、大きな地震が起きている。