聖徳太子画像讃ー「顕仏法威徳(太子)像」、「十六歳孝養(太子)像」、「上宮太子真影」ー太子御影の讃、【1月1日、2月22日】

A「吾為利生出彼 衡山入此日域 降伏守屋邪見 終顕佛法威徳」

12幅。安浄寺、聖専寺、蓮照寺、円寿寺、広玄寺、長楽寺、安楽寺大乗寺、円勝寺(以上淨土眞宗本願寺派・お西・9か寺)称念寺、明願寺、聖徳寺(以上真宗大谷派・お東・3か寺)。

B「法雲垂世界、善種得開萌、顕通希有法、処々化群生」

西勝寺、善正寺、乗龍寺、西休寺、光円寺、改観寺、真証寺、長正寺、頓聴
寺(以上すべてお東)。9幅
珠洲市三崎町引砂浄福寺(20130314調査)
中能登町成宗寺(20130421調査)
能登町宮地長龍寺(20130427調査)
穴水町古君浄誓寺(20130520調査)
この讃は、大正新脩大蔵経第49冊『佛祖歴代通載巻四』、同第52冊『続集古今佛道論衡』に載るが、「後漢書列伝」78がそもそもの出典のようで、もっ
とポピュラーな出典があるのかも知れない。

C「大慈大悲本誓願、愍念衆生如一子、是故方便従西方、誕生片州興正法」。

蓮誓寺、願正寺、真光寺,正福寺、専慶寺。5幅
讃は、親鸞聖人撰述の『上宮太子御記』に「松子伝太子讃」として載る。
珠洲市宝立町鵜飼専行寺。
珠洲市三崎町寺家専念寺。(20130409拝見)

D「四十九歳、伝統演説、大慈大悲、敬礼菩薩」。

本龍寺、得生寺。2幅
讃は、『上宮太子御記』に「敬礼救世大慈観世音菩薩、妙教流通東方日本国、四十九歳伝統演説」とある。
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2012年(平成24)11月18日撮影、能登町鵜川蓮光寺さん。
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かほく市宇気仏性寺さん。大谷派(2013年5月15日撮影)
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輪島市繩又専照寺さん。(2013年5月29日撮影)

E「敬礼救世観世音、傳燈東方粟散王、従於西方来誕生、皆演妙法度衆生」。

光称寺。1幅
讃『上宮太子御記』より。
宝立町太子講画像
穴水町山中徳善寺さん(2013年7月22日)
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以上から見えてきたのは、お西の9ヶ寺すべてが「吾為利生出彼、…」の讃であるのに対し、
お東17ケ寺は、この讃を含め5種類の讃が記されており、
聖人のお書きになった『上宮太子御記』『尊号真像銘文』には見えない「法雲垂世界、…」という讃がもっとも多いという、新たな問題点が見えてきた。
少なくともお東に関しては、「顕仏法威徳像」といえず、「上宮太子画像」としておくのがあっさりといいのではないか、と思えるのだが…?
(『七尾市史』は「聖徳太子影像」としている)