「能登の駒造」作の庭

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『志賀町の文化財』(pdf)


谷屋の長龍寺さんは『蓮如さん 門徒が語る蓮如伝承集成』(1988年刊)編集の頃から
「泣き仏様(法敬坊)」の印象もあって記憶していた。
最近は、城端別院で気づいた「能登の駒造」の庭があることで、再び気にしていた。
ところが、同じ志賀町にあって、だいぶ前にコンゴウのお話をさせていただいた長沢・谷野さんのお寺だと思いこんでいたのだ。
谷と長が重なるだけなのに、ちゃんと確かめもせずに谷屋長龍寺にしてたのである。
今年1月に長沢住職にお会いしたとき、「駒造の庭」の話をしたのに、
あまり興味をしめされなかったのも、あたりまえだったのだ。
この日、行ってみて
エエェ!!!…
谷屋長龍寺がここに…!!
と、ひっくり返りそうになった。
蓮如上人御一代記』にもっとも多く登場する法敬坊順誓の由緒を伝えるだけあって、一帯は伝統・歴史の匂いたつ光景だった。

城端別院駒造作庭
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『加賀能登の庭園』石川県1992年刊。
長龍寺庭園が含まれている。
全71庭園を、国本昭二、武藤清秀、堀政尋、西山郷史の4人で書いており、私は奥能登から長龍寺近くの富来町まで、かなりの庭を担当した。
国本さんとは面識があるが、あとの方は今はじめて見る名のような気がする。
ということは逆も真。


この時の執筆は、聞き取りライターに徹した。
この木は何ですか?
どういう風に評価されている庭ですか?
といった具合。


分からない、知らない、のだからどうしようもない。