宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌ー被災者支援のつどいー東本願寺(真宗本廟)

22日~23日。
「被災者支援のつどい」にお参りしてきた。
予定の親鸞聖人七(しち)百五十回忌法要が、この震災により、急遽変更となったのである。
被災者支援のつどい趣旨文(PDF)
10組の第1班(能登町真脇から珠洲市正院町にかけての班)は、6台のバスを連ね、京都へ向かった。

22日(火)

出発は午前5時15分。4時半には港の駐車場に行っていようと思っていたため、朝1時に目が覚めてしまった。
バスの中で昼食の弁当をいただき、
12時本願寺到着
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能登教区第10組は、オレンジ色の旗、たすき。
カメラの電池が無くなり、予備は車中。
本山はここまで。

行事日程

つどいに対して寄せられたメッセージも読み上げられた。
高史明、25日に震災被災満4年を迎える能登半島沖地震被災者代表、北米開教区の外国僧侶の3氏からの文だった。
高氏の本はかなり持っているが、「ぼくは12歳」の岡真史さんの母であり高さんの奥さんである岡百合子氏の本は読んだことがない。
それで、『白い道をゆく旅』を注文していたところだった。
偶然とはいえ、ここで高氏、能登のメッセージに出会うとは思わず、
様々なことが去来し
恩徳讃は歌えなかった。

23日(水)

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琵琶湖近くに泊まる。2時に目が覚める。
向こうに三上山。
秋ではないし思いっきり朝、なのに、
こういう風景を見ると
♪真菰の葦は風に揺れ…、湖の畔を訪ねても…「夕日の丘」のメロディが浮かんでくる。
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多くの本山参拝団体と宿舎が同じだった。
このバスは三重交通・名古屋教区。
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私たちは北陸交通の赤いバス(写真は見本)。
運転もガイドさんの案内も素晴らしかった。
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事情があって、この日の午前中だけこの号車の責任者となった。
その時、記念品を配ったその中の一つ。
何と読むのか、早速質問がある。
形声文字だから読めるところを読めばいい。
葩=「は」
意味は、後でしらべてくだっし…と言っていたら、添乗員さんが携帯電話状のもので早速調べだした。
読みは「は」でOK。意味は八仙花、綺麗な花だと出てくる。
便利な物があるものだ。
午後、開いてみると、説明に「はなびら」とふりがなが振ってあった。
※25日追加。八仙花はあじさい。
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まず、岡崎の京都美術館で「親鸞展」見学。
さすが10派合同の展覧会と唸りたくなるような充実した法宝物揃いだった。
下の写真は図録。
親鸞聖人七百五十回忌、真宗教団連合四十周年記念 親鸞展 生涯とゆかりの名宝」
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岡崎、「みやこめっせ」内、ごえんき村。
ここで土産物など必要な品のほとんどが揃う。特に書籍が充実していて、安居教本などは全部揃うのではないだろうか…?
本好きには垂涎の場。
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比叡山から琵琶湖。
奥比叡ドライブウエイコースで西塔(昼食)、さらに東塔に向かった。
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比叡山参拝記念」パンフ。30頁、4人の方が論をお寄せになっている。
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麓。棚田。
仰木の里
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白髭神社高島市鵜川)の鳥居。
山麓の神社は、すべて聖人のおっしゃる権社(権現)のはずで、
金沢駅近くの白髭社は金沢天神25社の一つだから、本地は観音様だ。
本社はどうなのだろう?
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伊吹山
バスは湖西道路~西近江路を通り、敦賀から北陸道に乗った。
金沢西インターで夕食。


夜、9時過ぎに飯田到着。