安心イロハワラベウタ、蓮如上人いろは歌、念仏いろは歌集

古くから釈教の和歌があり、親鸞聖人も今様歌形式で和讚を作られた。
和歌に教えをまとめたり、それを覚えるのは、いわばもっとも庶民的な教化のありようだった。
民謡になっているもの
数え歌
そして、いろは歌などがある。
手元にいくつかの「いろは歌」があるので、真宗資料として紹介する。

「安心イロハワラベウタ」は篤信の旧家に伝わっていたもので、
他二つのコピーは、曖昧すぎるのだが能都・能登島鹿島町史の折、どこかの家にあった文書類のコピー。コピー用紙が違うので別々の町史だと思うのだが……程度の模糊資料。

「安心イロハワラベウタ」

(PDF)墨付き7枚全、元治二年(1865)丑三月写之。
f:id:umiyamabusi:20160831204933j:image
f:id:umiyamabusi:20110127081332j:image

蓮如上人いろは歌

コピー
f:id:umiyamabusi:20110127081325j:image
f:id:umiyamabusi:20110127081320j:image
(PDF)い~は、し~す
このいろは歌は寛政10年(1798)版本の『淨土眞宗玉林和歌集巻第二』に載る。
その後書きに「此四十七首は文明の末赤尾道宗のすゝめ申けるによりよませたまふとなん、越前吉崎法雲寺に御真筆あり已上二百四十二首(注巻第二には蓮如上人の歌として242首収められている)の外にいろは歌とて、一念に帰命の花の開てはなどのいろはうたは念信用しがたし」とある。
また、阿部法夫氏著『蓮如信仰の研究ー越前を中心としてー』(清文堂刊)に「各地に残る『蓮如上人いろは歌』」があり、4系統のいろは歌が紹介されている。
ただ、これらの翻刻は和歌のみで、このコピー資料のように各歌ごとに注釈が書き込んであるのは珍しいものではないかと思っていた。
ところが、真宗大谷大学教授上杉文秀著『蓮如上人いろは歌講話』(布教叢書第九編・大正6年大谷派本願寺事務所内仏教学会刊)という書の「○標條」が「(い)佛法に厭足なし。染出す信心の色 (ろ)利剣即是彌陀名號…」など、かなり重なり合っていることを知った。
この本は、明治40年に浅草本願寺内婦人法話会で行った講話がもととなっており、その後、同法話会誌、三河『徳風』、横浜『法雷』、加賀『白道』の諸誌に転載されたとのことだから、かなり広まった「いろは歌」であることは間違いなさそうだ。

「念仏いろは歌集」

コピー。最後に「大正十一年一月一日記 念仏三昧」とある。
f:id:umiyamabusi:20110127081316j:image
f:id:umiyamabusi:20110127081311j:image

このほか、静岡県佐野郡大池村中島善次作『安心了解いろは歌』(明治24年刊)がある。