雪の能登ー叔父の満中陰ー昭和43年の鉄道

24日。
叔父自照院釈曉賢殿49日(満中陰)のため、輪島石休場町へ向かう。
プリウスは雪のため底がつかえ庭から出られず、スコップで車の下の雪を取り出し出発。
途中30キロぐらいのスピードで車が続く状態になったところもあったが、お参りには間に合う。
月のきれいな安町の里、叔父の想い出話を交えながら御法話をさせていただいた。
題は「月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ」(『真宗聖典』p855)。


葬儀の日に、50年の時を隔てて幼なじみだったことを名乗りあい、いま総代になっている幼なじみが、お斎の時、「汽笛が聞こえると走って皆で汽車を見に行ったものだったなぁ」と懐かしそうに話す。
あの頃、国鉄七尾線は穴水以北に能登三井・能登市ノ瀬・輪島の駅があり、照福寺から半道(約2キロメートル)隔てて能登市ノ瀬駅があった。
その駅を過ぎるとレールは弧を描いて河原田川を跨いでいた。そのあたりで蒸気機関車は、ポォオオーと汽笛を鳴らした。
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パッチ(一般に言うメンコ)や独楽回しをしていた子供たち
ー少年の日の私たちーは、その音が聞こえると、鐘搗堂に続く石段を駆け下り、輪島の方へ向かう汽車の姿が見えなくなるまで眺めたのだった。
※写真は輪島から市ノ瀬・三井へ向かう貨物列車。煙をあげているところのカーブを曲がると市ノ瀬駅。

昭和43年の春撮影。
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お斎の会場から、輪島市先端部日和山・天神山。灯台は竜が埼灯台