聴聞、金沢別院定例法話ー子を送る、川の字ー

鶴来別院

f:id:umiyamabusi:20101026111447j:image
25日(月)
山麓「ふらり」に泊まり、尾添、歌占の滝に寄ってから鶴来別院を訪ねた。
まもなく報恩講

おやま定例法話

昼頃時間があったので、金沢別院の定例法話聴聞した。
お話は埴山法雄師(砺波市聞願寺)。
無辺ー有辺、辺際なし
出る念仏、出す念仏
病気さえ自分でなれない、選ばれない
など、
ずいぶん多くを問いかけられた、尊いお話だった。

ごめんなさい(「つどい」第57号)

別院の講演会場に「つどい」という新聞がおいてあった。
昨晩「ふらり」で見た『最後の一向一揆』をお書きになった田村孝治氏も「百姓坊主任誓について」をお書きになっておいでる。
仁誓といえば、私が任誓を知ったのは大桑斉氏の『大地の仏者』によってだったが、『最後の一向一揆』の参考文献に『大地の仏者』が見えなかった。
そんなものなのかな…と昨晩眠りに入る前に感じたことを思い出した。


それはそうとして、重い一言ーごめんなさいーが載る文に出会った。
「わが子の死を縁として」という題の文で、脳出血のため半日でなくなられた息子さんのことが書いてある。


「大人になった息子と主人と川の字で二晩休み、…温もりが冷めていくさまを感じつつ、息子に”ごめんなさい、ごめんなさい”とつぶやいていました。」
「…短い命しか、あげられなくて…」
(ごめんなさい)。