祠堂経法話ー5、6日ー

親しくしていた方の職場の後輩が、お寺に帰られることになった。
よろしく頼む、と電話がかかっていた…のはいつのことだったか
その方ともほとんどお会いすることがなくなり、
時の流れの早さを感じるようになっているこの頃、
ひょんな事から、その後輩のお寺の祠堂経での法話を頼まれた。
8月5日~7日の3日間とのことだったが、
7日に葉山(逗子)へ行く用事があり、2日間を、お引き受けした。


この時期、私たちのところでは、キリコが出る。
隣の上戸では5日に自分の町内を担いで回り、7日は明け方3時頃まで、
飯田では6日と7日、
見附島のある鵜飼では大・小のキリコが海に入る。


子供の頃は、飯田のキリコを担ぎ終え、約4キロ離れた鵜飼まで歩いていって海に入るキリコを眺め、帰りに上戸小学校のグランドをキリコが練るのを見て、明け方近くに家路についたものだった。
「○時まで起きとったぞ…」と、徹夜を目指して自慢しあっていた少年の通過儀礼の一つだった…、と、今になってみれば、そう思えるのだが
7日盆前後に、仏事が営まれるのは、むしろ当然なのかもしれない。


お話をするのは門前の海岸近くにあるお寺で、
先代がご高齢だったため紫会(坊守会)には関わっておられず、門前町史の時、ちょっとおじゃましたことはあったが、ほとんど初めてといっていいお寺である。
その近在には、紫会でお世話になったお寺が数ケ寺あり、5日と6日にお寄りしたところでは、やはり祠堂経、あるいは7日に「コンゴウ参り」があるとのことで、準備をなさっておいでた。
f:id:umiyamabusi:20100809103742j:image

1日目は宇出津のお寺を訪ねていたので気づかなかったのだが、6日の午前中に桜峠を通った時には36度を示していたから、2日間とも35度を超えていたのだろう。
そういう中での、襦袢、白衣、間衣、輪袈裟に足袋姿、
2時からの法話は、寒がりの私でさえ、
「苦行」だと思ってしまった。


1日目は御門徒の方々のほかに、
住職の先輩(昭和55年、私が最初に新聞の文化欄に執筆したときの担当者)と珠洲の町おこしなどを担当しているイベント会社の社長さんが金沢から。
地元からは石川県観光マイスターで銀座で能登の居酒屋、東京の人々と「いとこ会」を組織なさっているNPOの中心の方がおいでになっていた。


ギラギラ照りつける太陽は、山門や民家の屋根に反射して、光が飛び込んでくる。
お参りしている人々の顔・姿は逆光になって、真っ黒なのだ。
そろそろ休みませんか…とか、頷いておいでるのか、寝ておいでるのか…、そういった表情が見て取れない。
不思議な体験だった。

知人たちの様子も見えなくて、それは、よかった。