輪島市大川の祠堂経ー浜田薬師(能登12薬師)ー

輪島市大川町には一向一揆の旗があることで知られる真宗大谷派池尾山通敬寺さんがあり、
義経の舟隠しの白崎、能登12薬師の一つ濱田薬師、三津浜などもあって歴史景観に優れた地である。
以前から、特に濱田薬師について地区の方々に話を…と通敬寺ご住職からお誘いを受けていたのが、
この5日、祠堂経の法話という形で実現した。
あくまでお説教であるので、
像法期の主仏薬師仏から末法期の弥陀如来親鸞聖人作「正像末法浄土和讃」を接点にしながら、濱田薬師にも触れようとイメージ作りをした。。
レジメ(PDF)、裏は能登12薬師・能登17作仏薬師地図、能登の薬師関係地図。


能登12薬師については、平成4年から5年にかけて、季刊「能登」に「総説」(第47号、平成4年3月)、「宗末(むねすえ)薬師」(48号)、「高爪薬師」(49号)、「湯の薬師」(51号)を書いたが、残りの九薬師についてはどこにも発表しないままで終わった。
そして、昨年はその後を補うように、能登を知る会で、12薬師中の嶽薬師(高洲薬師)中居奥津薬師を学び歩いた。


大川・濱田薬師(平成元年の調査)

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1989(平成元)年8月19日撮影

輪島市史』1資料編第3巻(桜井甚一氏執筆、p421、昭和49年刊)には
仏像背面の銘
「金剛佛子 榮俊 敬白 
奉新像藥師像(佛ー以下括弧内の読みは西山)一軀(躰) 大願主 七十六歳
右特致精誠奉新像意趣者 當寺繁昌佛法興隆庄内豊饒 願主榮俊
珠(殊)現當二世悉地成就故也 我今奉汲一渧水奉加新像五種眼 現在置享(?)成悉(?)地
応永二二(四のこと)年 歳次丁丑十二月十三日敬白」を載せ、
「本像は彫刻の技法からみて、銘の示すような応永年代にみることはできないが、銘文の内容・書式から、後世に造られた現存像原銘を写したものと解される。したがって銘文の史料価値は認め得るのでここに記載した。」
と記す。
21年前に調査した時には、この文の記憶があったためだったか、堂新築のあわただしさのためだったかで、仏像そのものにはほとんど注意を払わなかったのだが、
今、市史を見直すと、写真がなく、12神将があることにも触れておらず、近くの板碑に関する記述もない。
後のことになるが、珠洲市若山町吉祥寺さんで「応永十二年(1405)十二月廿三日」銘のある藥師仏座像を見つけており、その時の銘の印象に近い文字で、、
この大川(浜田)薬師を無理に銘だけ写したとする理由はないのではないかと思う。
能登の仏像で近世仏だとされていたのが、このところ、平安仏であったり室町期だと訂正されている例もあり、一度専門家に見てもらう必要があるのではないか。
なお、大正15年刊の『町野村誌』(江尻寅次郎著)には、ほぼ同文の棟札状のものがあると記している。


このほか堂内には、堂再建棟札(安永7年・1778)、薬師12神造立棟札(天明2年・1782)、濱田薬師才銭箱(文久元年・1861)などがある。