沖波(鳳珠郡穴水町)十一日講【穴水町】【2月11日】

沖波は、恵比寿崎を中心に西には遠浅の立戸ヶ浜、東に弁天崎と結ぶ湾を擁する湊として最高の立地条件を有し、平野部も広く、東西に別れて集落がある。そのような地であるから、早くから人が住んでいたのは間違いなく、中世遺物も多く、扶持百姓だった諸橋家もここにある。
その沖波のお参りで話をするようにといわれ、出かけた。
行ってみれば何とかなるだろう…と出かけたのだが、全く雪がないのに驚いた。
雪のお話から、11日のキシュウ・田打ち正月・鏡開きとお座、そして康元2年2月9日ー聖人85才の夢から35才の越後の海、海と『正信偈』へと話を持って行こう、とメモしたのが、雪がないとは…どうしたものだ。
と車を停めて海を眺めていると、三々五々人々が中心部へ向かって行かれる。そこで、声をかけた。
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「今日のお座宿は、どこですか?」
「お寺の向かいの茶色い屋根の家、…さん、やわね。」
となればお寺で着替えるしかない、とお寺に向かう。


一つ持っていた疑問は、11日のお参りは昔から11日だったのか、元は別の日のお参りだったのが休みの日に移行したのか、ということであった。
これはすぐわかった。
昔から11日だったとのことで、講名も「沖波11日講」だった。
となれば、いわゆる「正月お座」で、壇払い講とか餅お講などと言っているのと同系統の相続講になる。近くの比良でも同日惣仏講が行われる。
そして、宿に入ると、お講仏の前に餅が供えられている。
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こういう行事があると、すぐに調査となるのだが、今回は「お客さん」なので、どっぷり中から行事に出会える。

お参りは40名ほど。
・『正信偈』同朋唱和。
門徒の奥さんで、勤行集を全く見ないでお勤めなさっていた方もおいでた。
・御消息拝読
御消息は「世々の先徳…」文政九年(1826)「沖波11日講宛」。
真宗大谷派能登教区御消息調査で、「世々の先徳…」は188通残っていることが確認されている。
大量の御消息が門末に発給された、その昂揚期の話も加えた。
法話。1時間。
・お呼ばれ。
お二人の僧侶、役員の方々、それに私。
タラ汁、コツケの刺身、大根にたらこをまぶしたタラ中心の料理に、一年間準備してきた野菜の煮付け、漬け物などの報恩講料理。
このあたりは、今の時期に在家報恩講・斎初めに住職さんたちが回るそうで、その二つの要素の混じった料理で、珍しかった。


写真を撮ればよかったのだが、しゃっべてばかりいて撮る暇がなかったのと、何よりも一所懸命に話さなければならないのに、始めてお会いする方々の場で、カシャカシャやるのはどうかな…とのためらい、それに料理が次々出てくるのでどこをとらえたらいいのか分からなかった、などなどで、お参り、御膳光景の写真はなし。