信田小太郎(しだのこたろう)腰掛石【輪島市】

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幸若舞」の最も長い作品に「信田(しだ)」がある。
信田小太郎を主人公にした話で、「山椒大夫」に似た筋立ての舞曲である。
主人公小太郎が流浪の身であった時、「足に任せて行くほどに、能登の国に聞えたる小屋(おや・輪島)の湊に着き給ふ。」のだが、
乱世のこと、「折節、小屋の湊へは、夜盗が寄せて来るとて、門ゝ、門を切り塞ぎ、用心厳しかり。」
そこへ、もの乞いに回っていた小太郎は、盗賊の下見と間違われ、打擲されるが、情け深い刀祢の女房が小太郎を引き取り、大切に世話をする。
その後、平将門の末裔である小太郎は、お家復興を成し遂げるのだが、
その時のものだと伝わる小太郎腰掛け石が、輪島にある(はず)。


かつて『能登名跡志』に載る伝説の舞台を本にまとめることが出来ないだろうか…と考えていたことがあり、
輪島市文化財審議委員長で、舞台近くの輪島前神社宮司中村裕さんに腰掛け石があるのかどうか訪ねたことがあった。
すぐ近くにあるよ、と示してくださったのだが、そのうちにと思っていながら、そのままになっていた。
29日(日)の輪島市立図書館・文学講演会の演題を「伝承文学にみる輪島」にしたのは、家持伝承歌、西行『撰集抄』などとともに「信田」を一度じっくり考えたい、との気持ちもあった。
そのためには、「腰掛け石」がある場所・雰囲気を見ておかなくてはなるまい。



ここからは部分的に愚痴。
今月2日、七尾駅前のホテルに泊まった際、駐車場に大きな段差があって転び、ひどい捻挫をした。
今も足首は痛いし、かばっているせいなのだろう、膝も曲がりにくい状態が続いている。
とはいえ、「腰掛け石」を見ないままに話せば、間違いなく後悔するだろう…、ぎりぎりの26日(土)午後、小太郎腰掛け石を求めて、輪島先端に向かった。
刀祢家があり、『能登名跡志』に刀祢家と共に出てくる沖崎家などもある。
そのあたりに車を停め、近くで働いておられる方々に「腰掛石」の場所を聞いた。


どの人も聞いたことがないという。
というか、石すらないとおっしゃる。


となれば、神社で聞くしかない。
足を引きずり神社へ…。
境内を掃いておられる女性たちに聞くと、斉泰が腰掛けた石?
ではなくて小太郎…。
小太郎?
…誰も知らない。


拝殿近くで宮司さんが冬の準備をなさっているのを見かけたので、事情を話すと、車で行ってこようと車をお出しになり、最初に見当をつけていたところ近くにある腰掛け石(岩)にたどり着いた。


全体の景観もお見せできればいいのだが、個人宅がすぐ側にあるのでこの写真のみを紹介する。右側に「脇によき清水有り」(『能登名跡志』)と紹介されている井戸が写っている。


その後、宮司・中村さん宅におじゃまし、、
能登名跡志』の本文を読みながら、どうして小太郎やその腰掛け石が忘られているのかを話し合った。
名跡志」に紹介されている話は、逆賊で誅せられた、となっていて、とてもあらすじを人に紹介出来るようなものではない。
このせいですかね…と言って別れたのだが、「信田」と名跡志の話があまりに違うので、家に帰ってからつきあわせてみると、
能登名跡志』の作者は、「案ずるに信田の三郎事にや。」と、物語の小太郎の話ではなく、歴史上の人物・信田三郎の話を載せていたのだ。



中村さんにも会えたし、
小太郎と三郎の違いという思いがけないことにも気づくきっかけも得、行ってよかった。


小太郎旧跡巡りの帰り、
最近能登国三十三番観音巡礼札所の案内板が建ったというので、見てきた。
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能登国三十三観音巡礼札所・第三十一番粉川寺。