明泉寺から能登島へー能登国三十三観音第一番~第三番の旅ー

19日は、「ぶらり能登国三十三観音のたび」ツアー第二回目。
昨年は、地震被災から立ち上がる能登のテーマーに沿って、門前・輪島エリアを回ったのだが、
今回は、第一番白雉山明泉寺から~第三番能登島鰀目(えのめ)嶽の宮コース。
見所がいっぱいあって、午前中は穴水の内海、午後は能登島である。

能登空港から、宮地を通り、瑞穂(みずほ)へ抜け、二子山、武連(むれ)から、明泉寺へ出る。
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鮭尾付近のハザ。
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明泉寺ー彼岸花と野の仏群。
時のたつのを忘れそうな光景。
そうともいっておれず、先を急ぐ。
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旧上田寺跡の板碑群。
記憶より奥にあった。
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刈り入れ真っ盛り。
旧上田寺跡からのハザ。
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前波洞光寺山門前には、旧上田寺跡から運ばれたという巨大な板碑が数基立つ。
旧上田寺~洞光寺を結ぶ水路の重要地点(竹藪の中)に一基の大型板碑が立っている。
最初に見つけた時から斜め前向きになっていた。
能登沖地震で倒れたのだろう…、
確かめる機会があればと…時々考えていた、その場所へ行くことができた。
前と同じ形で立っていた。
写真の左側、
葉の合間に高さ160センチほどの板碑が写っているのだが…。

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この真下に能登線があった。
ここを下れば、洞光寺の近くに出るのだが、草が生い茂り降りられない。
狭い道をマイクロバスに迎えにきてもらい、移動する。


能登島
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行者が端。
泰澄大師の一番弟子、臥行者に関する話をはじめ、能登島には修験伝承が多い。
ここもその一つ。
閨(ねや)観音堂に続く、一帯。
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空港から瑞穂に向かう道を、同乗者たちは「春蘭の里」を通るのですね、とおっしゃり、
ここでは、イルカの入り江はここかァ…との声があがった。
なんのこっちゃい、と思った。
この湾にイルカがおり、かつては一頭だったのが今は数頭いるらしい。
いるいる、の声があがったものの、分からなかった。
現代の能登を知らなすぎる…、反省。
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臥行者の出身地。祖母ヶ浦(ばがうら)。
おんば様が入定したという行者が谷内から、甲方面を望む。
午前中は、対岸から、秋の日差しを受けてきらきら輝いている祖母ヶ浦専正寺(同寺におんば様の像がある)の屋根を見ながら、沿岸を巡ったのだ。
レポート「金沢便り」(9月19日)