内浦~外浦街道を歩く(中島から富来へ)ー県民大学校ー

27日(木)、県民大学校能登校「いしかわを知る講座」最終回バスツアーの引率をした。
定員40名を若干越える参加者。
暑い日になった。ブレザーを着ていったのだが、一度脱ぐとどこかで置き忘れそうなので、ポタポタ汗をかきながら、着て歩いた。
水分補給、写真などは説明のため手薄。


設定したコースのキーは
①地蔵街道を歩くー内浦と外浦を結ぶ旧幹道には、多くの地蔵(板碑・五輪・宝筐印塔)がある。それらを辿りながら昔の旅を偲ぶ。
②熊野信仰の里ー虫が峰山麓一帯は、熊野信仰、浄土信仰、俊寛伝説、蓮能尼の里など、日本宗教史をここだけで学べるほど多彩なエリアである。その地に佇む。
③文学探訪ー泉鏡花『山海評判記』、福永武彦「貝合わせ」が生まれ、松本清張中野重治、伊藤信吉、横川巴人など多くの文人が愛した「湖月館」を中心とする文学的雰囲気に触れる。
といったところで、資料を11枚用意した。


具体的には
小牧石造遺物群~久四郎型地蔵の原型と思われる浜田地蔵~谷内妙法寺(能登国三十三観音第23番札所)~横田拝み堂跡石造遺物~永和3年(1377)六字名号碑~「拾塵記」(大永7年・1527)に載る焼け跡の小仏群の舞台、多羅山蓮光寺~蓮能尼の里~虫が峰(鉈打山)
~湖月館(昼食)~建部神社~釈迦堂首切り地蔵~土川地蔵の里~久麻加夫都阿良加志比古神社

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小牧白山神社石造遺物群。
近くの川水がきれいで、何人かが、フグがいる、フグがいると騒いでおられた。
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浜田の地蔵、と板碑。
中島を離れるにつれ石の厚さが薄くなり、線刻になっていく久四郎型地蔵において、
この地蔵は彫りが深く、基準になるものだと考えている。

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谷内白山神社境内にある観音堂へ向かう一行。

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町屋名号(南無阿弥陀佛)碑(これは、椿の咲く頃に撮ったかなり前の写真。今は説明板が新しく大きくなっている)。
ここから虫が峰登山道となる。
この右手をしばらくいくと多羅山蓮光寺があり、熊木川対岸に蓮能尼の里が広がる。

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「湖月館」玄関横に建つ福永武彦の歌碑と福永武彦の紹介碑。
歌碑「夜もすがら春の しるべの風ふけど 増穂の小貝くだけ ずにあれ 武彦」とある。
「貝合わせ」は高校国語の教科書に採用されており、私も一度扱った記憶がある。
ここでは、1985年に刊行された『ふるさと文学探訪ー鏡花・秋声・犀星ー』から、吉野万里さんのやさしさあふれるエッセイ「増穂ヶ浦」を紹介した。
ところで、吉野万里さんて、どなたなのだろう?


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釈迦堂で。
この大きなバスで昔の街道を辿る旅をしているのだ。
運転手さんの技量がすごい。
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広いあぜ道を行く人。あぜを行く人。
あぜも広く、のどか。
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首切り地蔵、その他。
上杉謙信の伝説と結びつく地蔵。
今書いていて思ったのだが、上杉謙信はブームでは?


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平成3,4年頃、中島町史の調査中に撮った写真。
土川地区にある自然石に刻んだ久四郎型地蔵である。


次の資料にあるように、『中島町史』では、85カ所以上(志賀町の一部も調べた)の地蔵といわれている石造を調査し、すべて写真に撮ってある。
膨大なデータなのだが、割り当てページ数の関係で一枚の表にしただけだった。
データーの移管など、後始末を何とかしなければ…とは思うのだが……。


資料の一部⇒
「(中島町)地蔵一覧」
「地蔵街道(新聞記事:pdf)」