本など

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真宗 この現実を生きるいのち』1984年、真宗大谷派能登教区教化センター発行。
当時行われていた日曜講座講義録。
米沢英雄(医者)師の、
「病人というのは、身体だけ病むものではないのです。
医者は、安静にしろと言うのです。身体は安静にしていても、心の中は安静ではないのです。
それで、心の安静はどうして得られるかということで、いろいろ調べた結果、親鸞さまの教えに私が出遭ったわけです。」(「なぜ仏法を聞くのか」)をはじめ、
一楽典次、笠原保寿、木曽盛亮、熊谷宗恵、見善晃師の講義を収める。
表紙絵は大窪祐信氏、当時の所長は旭祐栄氏だった。
偶然、この本の存在に気づいたのだが、かつてこのような地道な営みがなされていたことに対し、ただ、頭が下がる。
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正信偈』下(古田和弘)。
上は購入済み。中が抜けた。


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以上『高史明 親鸞論集』。
先に読み進めている連れ合いは、今、引用に登場する漱石の「行人」「こころ」を読んでいる。
私は、『僕は12歳』を開き直している。
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『岡真史詩集 僕は12歳』(高史明・岡百合子編)1976年11月刊。
詩集より
「つばき」
「つばき おちてしまうとみんなは「ワアきたない」という はじめの 美しさもわすれてしまって」


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『初めての歎異抄』(山崎龍明)
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無宗教からの「歎異抄」読解』(阿満利麿)
田口ランディ氏が、分かりやすかった、と紹介なさっていたので購入。


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『選択集聞思 一』(藤元正樹)


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『差別と日本人』(野中広務辛淑玉)。
喪主挨拶で、野中氏のことを熱く語る葬儀に参列したことがある。
間もなく、書店でこの本を見つけ購入。
「思い(想像力)」の届かないことの重さ、
地がついたところから「思い」を巡らせ、どこまでも求めても、これでいいということはないのだということを、事実でもって教えてくれる。
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『日本人の良識』(ひろさちや
ひっくるめて使われる「言葉(概念語)」の恐さについて考えさせられる。
「1979年に中国政府の招待で、天津・北京・上海・南京と旅をした。
その当時は、中国政府からの招待がなければ、中国に行くことはできなかったのだ。」の文に出会った。
私が中国に行ったのは…同じ年である1979年の夏、2週間。
そういえば、人々と全く接触のない駅舎での列車待ち、特別車両など、
国賓扱いだった。→「ニー、ハオ」
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『日本の仏教 民話集』