三波(能登町)での鵜川・穴水組坊守会【能登町】

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この郵便局は能登町波並にあって、レトロな木造建築が人気らしい。
2日、この近くの食堂(ベーカリー)で坊守会があった。
6月は年度末なので、鵜川・穴水組では、従来から勉強して昼食というパターンのよう。
それで、会所は、郵便局のすぐ側の洋風の食堂。そこは、昔、民宿をやっておいでになり、よく泊まった。
宇出津高校で共に勤めたメンバーが、それぞれ郷里近くの高校に転勤していった後、何度か集まり、飲み、旧交を暖めた場所であるとともに、調査においでた研究者も、何人かお連れした記憶がある。
五来先生とも一度泊まったような気がするのだが、私の家でもお泊まりになっているので、そんなに能登においでたのかどうか?
はっきり記憶に残っているのは、上山春平先生である。随分遅くまで、二階の部屋で話し込んだ。
あの時、小学館から頼まれて、先生のアエノコト(あえのこと)調査につき合い、黒峰城祉も一緒に歩いた。
調査の仕方は、素晴らしいものだった。
新聞社やカメラマンが執行者の回りを行ったり来たりしている中で、メモ一つ取らずに、「行事」を体で味わっておられた。
行事の中においでた、と言ってよいかも知れない。
講義の合間に、そんなあれこれを思い出していた。
上山先生は、その頃、京都国立博物館長をなさっていた。
調査の結果は、昭和61年5月刊『日本民俗文化体系 第一巻 風土と文化=日本列島の位相=』「天皇制のデザイン」(上山春平)中の「天皇制と大嘗祭」に結実している。
今日、「六斎日」を調べるために『律令』(岩波日本思想体系第3巻)を開いたら、「月報」(1976年12月)のトップが、上山先生の「律令天皇制」だった。


多くの人との思いでのある場所で、
ほとんどが昨年初めて出会った方々との勉強会。


流れは絶えずして…かつ消え、かつ結びて…だ。